osho(和尚)

2016年06月06日

ネガティブな感情と仲良くなる by osho

木98



「どこかに恐怖があるために、私は気後れし、頑なになり、悲しく、
 投げやりで、怒り、絶望しています。それはとても微妙なものなので、
 その所在を突き止めることさえできません。
 もっとはっきりと見ることはできないでしょうか? 」


悲しみ、投げやり、怒り、絶望、不安、苦悩、惨めさにかんして、唯一
問題なのは、あなたがそれらから逃れたがっていることだ。
それが唯一の障害だ。それらとともに生きていかなければいけない。
逃げることはできない。人生はそうした状況のなかでこそ、統合され、
成長していかなければならない。

それは人生のチャレンジだ。それを受け容れなさい。それは変装した祝福だ。
それから逃げようとしたら、どうにかして排除しようとしたら、問題が生じてくる。
というのも、なにかを排除しようとしたら、それを直視しなくなるからだ。
非難の目で見るために、それはあなたから隠れるようになる。
それは無意識のなか深くへ入り込んで、あなたの存在の暗い片隅に隠れ、
見つけられなくなる。あなたの存在の地下室へと移動し、そこに隠れてしまう。
当然、深くへ入り込めば入り込むほど、それは多くの問題をつくりだす。
あなたの存在の未知の片隅から働くようになり、あなたには手出しができなく
なる。

だからとにかく、けっして抑圧しないことだ。
とにかく、あるがままを受け容れなさい。それを受け止めて、出てこさせる――
自分の前に出てこさせる。じつのところ、「抑圧してはいけない」と言うだけでは
不十分だ。

許されるなら、私はこう言いたい、「それと仲良くなりなさい」と。
あなたが悲しいのなら、それと仲良くなり、それを哀れむことだ。
悲しみにも存在がある。それを許し、それを抱きしめ、それといっしょに坐り、
その手を握りなさい。仲良くなるがいい。それを好きになりなさい。悲しみは美しい!
それはよくないものではない。悲しいのはよくないなんてだれが言ったのかね? 
それどころか、あなたに深みを与えられるのは悲しみしかない。笑いは底が浅い。
幸福は皮一枚の厚さしかない。悲しみは骨にまで、髄にまで入り込む。
悲しみほど深く入り込むものはない。

だから心配しなくていい。それといっしょにいれば、悲しみはあなたをもっとも奥深い
中心にまで連れて行ってくれる。それに乗っていけば、自分の存在について今まで
知らなかったいくつかの新しいことを知ることができる。そうしたことは悲しみのなか
でしか明らかにならない。幸せなときにはけっして見えてこない。暗闇もまたいい。
暗闇もまた神聖だ。昼間だけが存在なのではない。
夜もまたそうだ。私はこの態度を宗教的と呼ぶ……。

忍耐強く悲しみのなかにいることができれば、ある朝、突然、ハートのなかにどこか
未知の源泉から幸せがわき起こってくることに気がつく。
その未知の源泉とは清らかな人格だ。本当に悲しんだら、それを自分のものにできる。
本当に絶望し、投げやりで、不幸せで、惨めになり、地獄に生きるようになれば、
天国を自分のものにできる。その対価は支払っている……。

人生に直面しなさい。人生に立ち向かいなさい。困難なときはあるだろうが、
ある日、あなたは気がつく。それらに立ち向かったおかげで、その困難な瞬間が
自分に強さを与えてくれた。それらはあってしかるべきものだった。
そうした困難な瞬間は通り抜けているときは辛いが、後になってみると、それが
自分をもっとしっかりさせてくれたことに気がつく。
それがなかったら、あなたは中心に据わり、地に着くことはなかっただろう。

世界中の古い宗教は抑圧的だ。未来の新しい宗教は表現豊かなものになる。
私はその新しい宗教をあなた方に教えている……表現をあなたの人生のもっとも
基本的なルールのひとつにしなさい。そのために苦しまなければならないとしたら、
苦しみなさい。なにかを失うことはけっしてない。その苦しみのおかげで、あなたは
もっともっと人生を楽しみ、人生を喜び祝うことができるようになる。

osho


blissfullife at 14:54|Permalink

2016年05月12日

条件づけ by osho

草02



親による条件づけは、世界でもっとも大きな隷属だ。
もし子どもが間違った育てられ方をしたら、人類全体がおかしくなる。

子どもは種だ。もし善意ある人たち、好意を寄せる人たちによって種
そのものが毒され、堕落させられたら、自由な人間個人は望めない。

何を怖れているのかというと、子どもがまさに最初から条件づけられずに
おかれたら、自分のライフスタイル全体が反逆になるほどその子は知性に
あふれ、油断せずに気づいているようになるからだ。

そして、誰も反逆者は望まない。誰もが従順な人たちを望んでいる。
親は従順な子どもが好きだ。
だが、いいかね、反逆的な子どもは知性のある子どもだ。
反逆的な子どもは顧みられたり愛されたりしない。
先生はその子が好きではないし、社会はその子を顧みない。
その子はつぶされてしまう。

天才はめったに起こらない。
天才が生まれるのは稀だからではない。
天才がめったに起こらないのは、社会の条件づけのプロセスから逃れるのが
とてもむずかしいからだ!
子どもがその支配力からなんとかうまく逃れるのは、たまにしかない。

もし子どもが他人から邪魔されずに自分の個性を育むのを許され、
助けられたら、私たちは素晴らしい世界を手にする。

そのときは、私たちには多くのブッダたち、多くのソクラテスたち、
そして多くのイエスたちがいることだろう。
私たちには途方もなくバラエティに富んだ天才たちがいることだろう。

by osho



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2016年04月11日

自分の内側に入る行為は大いなる勇気が必要だ by osho

桜02



人びとは、他人に悪く言われているのではないかと恐れる。

というのも、自分自身についての理解は、他人の意見に依存して
いるからだ。
人びとには、自分自身についての直接的な理解がない。
自分自身を理解する直接的な体験がない。
この体験は起こるはずだが起こらない。

というのも、あなたがそれから逃げようとしているからだ。

マインドに直面するには、まず他人の言うことを気にしないこと、
他人にどう見られているかを気にしないことだ。

それよりも、あなたが本質的に何であるかに直面した方がいい。
独り在るなかで、自分のマインドを完全にさらけ出し、そこに
あるものを見るといい。

それは勇気ある行為だ。
自分の内側に潜む地獄の渦中へ入っていこうという決意は、
途方もなく勇気ある行為だ。

裸の自分を見ることは、大いに勇気ある行為だ。
大いなる勇気が必要だ。

osho



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2016年02月02日

愛を求める欲求を越えた者だけが、愛を与えることができる by osho

木24



あなたたち誰もが、自分は愛を知っていると思っている。
この幻想は途方もなく有害だ。
なぜならあなたは、すでに知っていると思うことに関しては、決してそれに
到達する努力や、それを目覚めさせる努力をしないからだ。

あなたたちのなかに、愛することのできる者はいない。
なぜなら、あなたたちの内側には愛が流れていないからだ。
あなたが誰かに「愛しているよ」と言うときは、実は愛を与えているのではなく、
愛を求めているのだ。

誰もが愛を求めている。
そして、みずから愛を求めている者が、どうして愛を与えることができるだろう?
愛を求める人びとが、どうして愛を与える者になれるだろう?

あなたたちはみな、お互いに愛を求め合っている。
あなたの本質は、愛してくださいとねだっている乞食だ。
あなたたちは、乞食椀を持ってお互いの前に立っている二人の乞食のようだ。

愛を求めているかぎり、愛を与えることはできない。
なぜなら求めることこそ、まさに内側に愛の源泉がないしるしだからだ。
さもなければ、どうして外側から愛を求める必要があるだろう?

愛を求める欲求を越えた者だけが、愛を与えることができる。

愛とは分かち合うものであり、ねだるものではない。
愛は皇帝だ。乞食ではない。
愛は与えることしか知らず、求めることをまったく知らない。

そして覚えておきなさい――
愛を求める人は、決してこの世で愛を手に入れることはできないと。

生の重要な法則のひとつ、永遠の法則のひとつはこうだ――
愛を求める人は、決して愛を得ることがない。

愛は、愛に対する欲望が消え去った家の扉にしか訪れない。
愛は、愛を求めるのをやめた者の家に降り注ぎ始める。

osho



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2016年01月27日

生き生きとした瞬間を思い出す by osho

木22


人間はしばしば悪いことだけを思い出して、良いことは忘れてしまうという
愚を犯す。
人びとが犯すいちばんの大きな過ちは、価値がない否定的なものだけを
覚えていて、真の価値があるものをすっかり忘れてしまうということだ。

愛情にあふれていたときのことなどめったに思い出さない。
からだがこの上もなく快調だったときのことなどめったに思い出さないが、
腹が立っていらいらしたときのことはいつも思い出すし、侮辱されて仕返しを
しようとしたときのことはいつも思い出す。
傷ついた出来事はいつも思い出すが、自分の栄養になる出来事はほとんど
思い出さない。

そういった栄養になる出来事を思い出すことが大切だ。
それをつねに思い出すことはふたつの面で役に立つ。

一番重要なのは、そういった大切な瞬間を思い出すことで、それがまた再び
起こる可能性が生まれてくるということだ。
悲しいことばかり思い出していたら、その人はまた不幸な目に会うことだろう。
そういったことになりやすい傾向をつくってきたのだから、彼の人生では似た
ようなことが何度も繰り返されるだろう。
そのような感情が内側にため込まれてしまい、それを何度も繰り返すことが
ますます容易になってゆく。

いつもどんな感情にとらわれやすいのかを、自分のなかを振り返って見る
といい。
誰しもが記憶をもっている。いつもどんな種類の経験を思い出すだろうか?
過去の記憶がどのようなものであれ、あなたは未来のために種子をまいて
いるのだろいうことを忘れてはいけない。
これから先も同じ経験を摘み取らねばならない。
過去の記憶が未来の敷石となる。

私たちは自分のなかに蓄えている記憶どおりの人間になる。
自分が覚えていることは自分の1部になる。
何かをしじゅう考えていたら、その思考は私たちのなかに変化を引き起こし、
それが一生にわたって影響を与える。

それだから、なんであれ自分にとって好ましいこと、善いこと、大事なことだけを
覚えているようにしなさい。
それに人生では…生まれてから一度も安らかな、幸せな、素晴らしい、愛に
満ちた瞬間をもったことがないという人はいない。

こういった瞬間を思い出すことによって強くなるなら、たとえ暗闇に包まれて
いるときでも、あなたのなかに燃える光があかあかとまわりを照らし出すこと
だろう。

まわりには悲しみがいっぱいのときでも、あなたは自分のなかの愛の、美の、
静寂の体験を携えているので、そういった悲しみを目にすることはないだろう。
棘に囲まれているときでも花に囲まれているかのように感じることができるかも
しれない。
だが、この逆もまた起こりうる。
すべてはあなた次第だ。

osho



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2016年01月18日

「痛み」はあなたが創り出す by osho

木21



「愛するOSHO 
痛みや惨めさ、苦悩、苦痛といったことは理解し、
落としてしまうべきだということはよく知っています。
しかし、なぜこうした事柄ををおしまいにしてしまうのが
難しいのでしょうか」


だれも本気では、自分の苦悩を払い落としてしまいたくはないのだ。
あなたはとても真摯に、この問いかけをしなくてはならない。
あなたは孤独になる用意があるかね?
少なくとも苦悩、苦痛、惨めさは、あなたを特別な何者かにしてくれる。
それはあなたに何らかの人格や、ある種のアイデンティティを与えて
くれる。
何よりも、その惨めさはあなたのものであり、他の誰のものでもないのだ。
それはあなたの財産であり、特権なのだ。
もしそれが取り去られてしまったら、あなたは乞食になってしまうだろう。
あなたは私に、どうして惨めな状態を終わりにするのが難しいのかと
聞いている。
あなたがそれを終わりにしたくないから難しいのだ。

osho



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2015年12月27日

人を喜ばせること by osho

木18



他人の期待に応えることをやめるがいい。
それはあなたが自殺することになり得る唯一のやり方だからだ。

あなたは誰かの期待に応えるためにここにいるわけではない。
そして他の誰もあなたの期待に応えるためにここにいるわけではない。
決して他人の期待の犠牲になってはいけない。
そして誰もあなたの期待の犠牲にしてはいけない。

これが、私が個人性と呼ぶものだ。
あなた自身の個人性を尊重し、他人の個人性を尊重するがいい。
決して誰かの生を干渉してはならないし、誰にもあなたの生を干渉
させてはならない。
そうして初めて、いつかあなたは精神性の中へと成長することができる。

さもなければ、99パーセントの人びとは、ただ自殺するだけだ。
彼らの生全体は、緩慢な自殺以外の何ものでもない。

この期待、あの期待に、応え続ける……
ある日は父親の、ある日は母親の、ある日は妻の、夫の期待に応え続け、
そして子どもが生まれ――
彼らもまた期待する。それから社会、聖職者と政治家。
まわり中の誰もが期待している。
そしてかわいそうなあなたがいる、ただかわいそうな人間が――
全世界があなたに、これをやるように、あれをやるようにと期待している。
そしてあなたは彼らの期待すべてに応えることはできない。
なぜならそれらは相反しているからだ。

あらゆる人の期待に応えようとして、あなたはおかしくなってしまった。
そしてあなたは、誰の期待にも応えなかった。
誰も幸せではない。
あなたは道に迷い、疲れきってしまい、そして誰ひとり幸せではない。
自分自身と共にいて幸せでない人びとは、幸せになり得ない。
あなたが何をしても、彼らはあなたに不満を感じる方法を見つける。
なぜなら彼らが、幸せでいることができないからだ。

幸福とは、人が学ばなければならないアートだ。
それは、あなたが何をやるか、やらないかには関係がない。
人を喜ばせる代わりに、幸福のアートを学ぶがいい。

osho




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2015年12月09日

新しい希望 by osho

2015・木15



新しい希望

私たちはこの希望が現実になってほしい。
それはあまりにも長いあいだ希望のままでありつづけた。

今こそ、その夢が実現する時であり、もし私たちにこの夢が
実現できなければ、そうだとしたら、人類に未来はない。

というのも、狂った群集は地球規模の自殺に近づいているからだ。
そしてもはや、ふたつの選択肢しかないだろう。

自分自身を新しい人間、超人に変容させるか、あるいは、
この地球から消える準備をするか。

だが、人間は死にたがっているとは私は思わない。
木々が死にたがっているとは私は思わない、あるいは鳥たちや
動物たちが。
生が自殺したがっているとは、私は思わない。

だからこそ、それは自らを変容させて超人を誕生させ、世界中の
政治家たちがあなたがたのために、自殺するために準備している
この手はず全体を落とすほうをまず間違いなく選ぶだろう。

今や生の力と死の力が互いに対決している。
生の力はもろい、まさに大気中の香りのように。
そして、死の力はひじょうに強い。.

それでも、死は生に勝てない。
憎しみは愛に勝てない。
醜さは美しさに勝てない。

by osho




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2015年11月20日

瞑想のための空間をつくる by osho

2014・木12




「瞑想のための空間をつくる」 by osho


毎日瞑想できる特別な場所を小さな寺院や
家の片すみに設けることができるなら、
その場所は他のどんな目的にも使ってはならない。

というのも、あらゆる目的がそれ自体の波動(ヴァイブレーション)
をもつからだ。

その場所は瞑想のためだけに使用し、
他のことに使ってはならない。

そうしたらその場所は充電されるようになり、
毎日あなたを待つ。

その場所はあなたの役に立つ。

その環境は特定のヴァイブレーションを帯び、
特定の雰囲気をかもしだす。

そのなかでなら、あなたはいっそう楽にもっともっと
奥深くへとはいってゆける。

それこそ寺院や教会やモスクが造られた理由だ。
祈りや瞑想のためだけにある場所を設けるということだ。

もしあなたが瞑想に規則的な時間を選べるとしたら
それもまたとても役に立つ。

というのも、あなたの体や心(マインド)は一つの機械だからだ。
もしあなたが毎日特定の時間に昼食をとるとしたら
その時刻になると、あなたの体は食べ物を求めて叫びだす。

(中略)

毎日同じ場所で、同じ時間に瞑想してごらん。
そうすると、体と心(マインド)の中に瞑想への渇望が生じる。

毎日その時間になると、体と心(マインド)は、あなたが
瞑想のなかにはいることを求める。
それは助けになる。

空腹や渇きになるスペースが、あなたの内につくりだされる。
はじめのうちそれはとてもいい。

瞑想が自然になり、あなたがどこでも、どんな場所でも、
どんな時でも瞑想できる地点に至らないかぎり――
その瞬間に至るまでは、体と心のこうした機械的資質を
一助にするがいい。

これはあなたにある雰囲気を与える。

あかりを消し、きまった香を部屋にたきしめ
きまった長さ、柔らかさの服をまとい
きまった種類の敷物をしいて、きまった型の姿勢をとる――
このすべてが助けになる。

が、こうしたことがそれを引き起こしはしない。
もし誰か別の人がやったとしたら
この同じことが障害になるかもしれない。

人は自分自身の儀式を見つけださなくてはならない。
儀式は、あなたがくつろいで待つのを助けるためにある
にすぎない。

そして、あなたがくつろいで待っているとき
そのことが起こる。

まるで眠りのごとく、<神>はあなたにやってくる。
まるで愛のごとく、<神>はあなたにやってくる。

あなたはそれを意図することはできない。
それを奪いとることはできない。



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2015年10月20日

自分自身を受け容れなさい by osho

2015・木10


「Osho,私は絶えず自分自身を批判し、他人を裁き続けています。
 そのせいで私は分裂感と緊張を感じ、人びとや自然とほんとうの
 触れ合いを確立することができません。
 私はハートを開きたいのですが、どうしたらいいのかわかりません。
 どうか、これについて何か言っていただけますか?」


私たちの教育全体がじつに醜く、私たちのしつけ全体がまったく
間違っているので、それはあなた方の内なる成長のあらゆる可能性を
奪い去り、そして少なくともあなたの喜び、あなたの理解やあなたの成熟
には何の関連もない、愚かしい考え方を代わりに与える。

どんな子どもも、何千ものやり方で、自分自身を批判することを教えられる
のだから、何もこれはあなただけの問題ではない。
彼はいつも自分はあらゆることについて間違っているのだと教えられる。
徐々に徐々に、彼は自分自身を批判するという病気にかかってゆく。
そして自分自身を批判する人物は他人を許すことができない。
どうして許せるだろう?――その同じ理由から、彼は他人を批判する。
彼の全人生が非難に次ぐ非難になってしまう――

これが私たちの世界だ――
誰もが自分自身を間違っていると批判し、ほかの誰をも間違っていると
批判する。
どうして愛情深く、友好的に、信頼するようになれるだろう? 
どうしてハートを開けるだろう? 
あなたは孤立して完全に閉じて、自分が批判して世間が自分を批判する
世界の中に暮らすようになる。

裁き続けることをやめなさい。何をしているにせよ、それをやるのが好き
だったら、それをやりなさい。判定を下すという疑問はまったくない。
あなたのやっていることは間違っていると言う権利は、ほかの誰にもない。
もしそれを楽しんでいるなら、あなたは誰にも害を与えていないし、誰をも
妨げてもいない……

動物たち、鳥たちを見てみなさい。
誰も心配していないし、誰も悲しがってはいないし、誰も欲求不満に陥っては
いない。
頭が狂っている水牛を見ることはない。彼は完璧に満足して、毎日同じ草を
食べている。
彼はほとんど光明を得ている。どこにも緊張はない。自然と、自分自身と、
すべてのあるがままのものと、とてつもない調和のうちにある。
 彼らはみんな笑っているに違いない――
「いったいどうしたんですか? どうしてただ自分自身のままではいられないの
ですか? ほかの誰かになる必要がどこにあるでしょう?」
だから、まず第一に必要なのは、自分自身を深く受け容れることだ。

私は一度も裁いたことがないので、その体験がどういうものなのかを
正確には知らない。
あなたは自分自身を裁くと言うが、それは借り物だ。人びとがあなたを裁き、
あなたは彼らの考えを何ひとつ詳しく吟味することなしに受け容れてきた。
あなたは、あらゆるたぐいの人びとの裁きに苦しんでおり、自分でもそういった
裁きをほかの人びとに投げつけている。
そしてこのゲームがあまりにも釣り合いを失って成長してしまったので、
全人類がそれによって苦しんでいる。

それから抜け出したいのなら、まず第一に必要なのは――
自分自身を裁かないことだ。
謙虚に自分の不完全さを、失敗を、過ちを、もろさを受け容れなさい。
そうでないふりをする必要はない。
ただ自分自身で在りなさい、「恐れに満ちている、それが私なのだ。
暗い夜に外には出られないし、奥深い森に入って行くことはできない」と。
そのどこが悪い?――まったく人間的だ。

いったん自分自身を受け容れたら、あなたは他人を受け容れられるようになる。
なぜならあなたは、彼らも同じ病に苦しんでいるという明晰な洞察を得るからだ。
そしてあなたが彼らを受け容れることは、彼らが自分自身を受け容れることの
助けになる。

私たちはその全プロセスを逆向きにすることができる――
まず自分自身を受け容れなさい。
それが、あなたをして他人を受け容れることを可能にする。
そして誰かが自分たちを受け容れてくれていることから、彼は初めて受容性の
美しさを学ぶ――
それがどれほど安らかな感じがするものか――
そして彼らも他人を受け容れ始める。

もしも全人類が、誰もがありのままに受け容れられる地点にまで至ったなら、
ほとんど99パーセントの惨めさがあっさりと消え失せてしまうだろう――
それには何の基盤もない――
そしてあなた方のハートはひとりでに開き、愛が流れ出す。



blissfullife at 07:59|Permalink