osho(和尚)

2016年11月15日

母親になるということ02 by osho

UNI_11533



そして2つ目のことは、成人した人を扱うように子供を扱いなさい。
決して子供を子供のように扱ってはならない。
子供を深い尊敬をもって扱いなさい。

神はあなたを主人(ホスト)として選んだ。神は客(ゲスト)としてあなたの存在の
中へ入って来た。
子供はとても壊れやすく、無力だ。子供を尊敬することはとても難しい。

子供に屈辱を与えるのはとても簡単だ。屈辱はごく簡単に生じる。
なぜなら、子供は無力で何も出来ないからだ。
仕返しすることも、反抗することも出来ないからだ。

子供を成人として、そして偉大な尊敬をもって扱いなさい。
ひとたびあなたが子供を尊敬するようになると、あなたは自分の考えを
彼に押しつけようとしなくなる。

あなたはただ彼に自由を与える・・・世界を探検する為の自由だ。
あなたは彼が世界を探検するにあたって、もっともっと力強くなるのを助ける。
だが、決して彼に方向を与えたりしない。

あなたは彼にエネルギーを与える、あなたは彼に保護を与える、あなたは
彼に安全を与える・・・彼が必要なすべてを・・・だが、あなたは彼が世界を
探検する為に、あなたの元から遠く離れて行くのを助ける。

そしてもちろん、自由には間違いもまた含まれている。
母親にとってそれを学ぶのはとても難しい。
あなたが子供に自由を与える時、それはよいことをするだけの自由では
ないからだ。
悪いことをする自由、間違う自由もまた必要だ。
だから子供を注意深く、賢くあらしめなさい。

だが、彼にどんな戒律も決して与えてはならない・・・
誰もそれらを守りはしない。が、人々は偽善者になる。

だから、もしあなたが本当に子供を愛するのなら、ひとつのことを覚えて
おかなければならない。
絶対に、絶対にいかなる方法であれ、偽善者になるように彼を助けたり、
強制したりしてはならない。




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2016年11月14日

母親になるということ01 by osho

UNI_113111



質問:母親になることについて話してください。


母親になることは、この世でもっとも偉大な責任のひとつだ。

実に多くの人々が精神分析医のカウチの上にいる状態だ。
そして、実に多くの人々が精神病院に入っている。
そして、実に多くの狂った人々が精神病院の外にいる。

もし、あなたが人類の神経症に深く入って行ったら、あなたはつねに
母親を発見するだろう。
なぜなら、とても多くの女性が母親になりたがるが、彼女達はいかにして
母親になるかを知らないからだ。

ひとたび母親と子供の関係がおかしくなってしまうと、子供の一生は
間違った方向に向かう。
なぜなら、それは世界との子供の最初の接触、彼の最初の関係だからだ。
他のすべては皆それとつながって行く。そしてもし、その最初の一歩が
間違って踏み出されると、生涯が台無しになる。

人は承知の上で母親になるべきだ。あなたは人類が受けることの出来る、
もっとも偉大な責任のひとつを引き受けている。
男性の方がその意味では少し自由だ。なぜなら、彼らは母親になることの
責任を引き受けることが出来ないからだ。

女性にはより多くの責任がある。だから母親になるがいい。だが女だからと
いって、母親になるのは当たり前だと捉(とら)えてはいけない・・・それは
誤った考えだ。

母性は偉大な芸術(アート)だ!
あなたはそれを学ばなければならない。
だからそれについて学び始めなさい!

2、3のことを私はあなたに言いたい。
最初に、決して子供をあなたのものとして扱ってはいけない。
決して子供を所有してはならない。
子供はあなたを通してやって来るが、あなたのものではない。
神があなたを乗物として、媒体としてただ使っただけであり、子供はあなたの
所有物ではない。
愛しなさい。だが決して子供を所有してはならない。

もし母親が子供を所有し始めたら、その時には彼の生は破壊される。
子供は囚人になり始める。あなたは彼の個性を壊し、彼を物に貶(おとし)めて
しまっている。

物しか所有出来ない。家を所有することは出来る、車を所有することは出来る・・・
人を所有することは決して出来ない。
だからこれが最初のレッスンだ・・・その為に用意を整えなさい。
子供がやって来る前に、あなたは彼を独立した存在として迎えることが出来ている
べきだ。
彼自身の権利において、ひとりの人物として、単にあなたの子供としてではなく。

osho


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2016年09月15日

正しい睡眠 by osho

UNI_1098


正しい睡眠

人間の文明の発展の中でもっとも害されてきたのは、睡眠だ。
人間が人工の光を発見したその日から、睡眠は大きな問題を抱えるようになった。
そして、道具がますます人間の手に入るようになるにつれて、睡眠は必要のない
ものだ、多くの時間が無駄に費やされている、と人間は感じ始めるようになった。
だから、より短い睡眠ですませることができればできるほどよい。

睡眠は生のより深いプロセスに対してなんらかの貢献をしているという考えは、
人びとには浮かばない。
彼らは、睡眠に費やす時間は無駄になる時間だから、眠るのは短いほどいい、
睡眠量を早く減らせば減らすほどいい、と考える。

あらゆる病気、人間の生に入り込んだあらゆる異常の背後にある原因は、
睡眠の不足だということに私たちは気づいてすらいない。
正しく眠ることのできない人は正しく生きることができない。

睡眠は時間の無駄ではないのだ。8時間の睡眠は無駄に使われてはいない。
逆に、この8時間の睡眠ゆえに、あなたは16時間のあいだ目を覚ましていることが
できる。さもなければ、その間ずっと目を覚ましていることはできないだろう。

この8時間のあいだに生命エネルギーが蓄積され、あなたの生は再び活力を
与えられ、あなたの脳と心臓のセンターは静まり、そしてあなたの生はあなたの
へそのセンターから働く。
この8時間の睡眠ゆえに、あなたは再び自然と、そして存在とひとつになったのだ。
あなたが再び活力を得るようになるのはそのためだ。

睡眠は人間の生に戻ってくる必要がある。
実際に、人類の精神の健康にとって、この先100年か200年のあいだ、睡眠は
法律で義務付けられなければならないという以外に、他の選択肢はない、
他の手段はない。

瞑想する人にとって、適切で充分な睡眠を取るように心がけるのはひじょうに
重要だ。
そして、もうひとつのことが理解されなければならない——
正しい睡眠は人によってそれぞれ違う。
肉体の要求はみなそれぞれ……年齢と、その他の多くの要素次第で違うのだから、
同じではない。

朝の5時に起きるのが誰にとってもいいことだ、といつも言われている。
これはまったくの間違いで、非科学的だ。誰にでもいいわけではない。
ある人たちにはいいかもしれないが、他の人たちには害を及ぼすかもしれない。
24時間のうち、およそ3時間は、人それぞれに体温が下がる。
そしてこの3時間は、もっと深い眠りの時間だ。
もしこの3時間のあいだ目覚めていたら、その人の1日はすべて損なわれ、
その人のエネルギーはすべて乱される。

一般的に、この3時間は朝の2時から5時の間だ。ほとんどの人にとって、
この3時間は朝の2時から5時の間だが、それは誰にでもあてはまるわけ
ではない。
6時まで体温が低い人たちもいれば、7時まで低い人たちもいる。
朝の4時に体温が標準になり始める人たちもいる。
だから、体温が低いこの時間に起きると、その人の1日24時間はすべて
損なわれ、有害な影響が及ぶ。
体温が標準のレベルにまで上がり始める時だけが、その人の起きる時間なのだ。

普通は、日の出とともに起きるのが誰にとってもいい。
陽が昇るにつれてみんなの体温が上がり始めるからだ。
だが、これはルールではない。例外がいくつかある。ある人たちにとっては、
日の出より少し遅くまで眠る必要があるかもしれない。
なぜなら、個人の体温はそれぞれ異なった時間に、異なったペースで上昇
するからだ。だから、人はそれぞれ、自分にはどれだけの睡眠時間が必要
なのか、そして自分が起きるのに健康的な時間はいつなのかを見出さな
ければならない。そして、それがその人のルールだ……
教典がどう言っていようとも、導師たちがどう言っていようとも。
彼らの言うことを聞く必要はまったくない。

正しい睡眠にとっては、より深く、より長く眠ることができるほどよい。
だが、私はあなたに、眠りなさいと言っているのであって、ベッドに横になって
いなさいと言っているのではない! 
ベッドに横になっているのは眠りではない!

目を覚ますのが自分にとっては健康的だと感じるときに目を覚ますのが、
あなたのルールであるべきだ。
たいていそれは日の出とともに起こるが、あなたにはそれが起こらないことも
あり得る。

だから、人はそれぞれ、自分にとってもっとも良い手筈は何なのかを発見
しなければならない。
3か月の間、それぞれが自分の仕事で、自分の睡眠で、そして自分の食事で
試してみなければならない。
そして、自分にとってもっと健康的で、もっとも安らかで、もっとも至福に満ちた
ルールは何かを見出さなければならない。

そして、誰もが自分自身のルールを作るべきだ。
似ている人はふたりといない。
だから、誰にでも適用できる共通のルールはない。
誰かが共通のルールを適用しようとすると、きまって悪い影響が生じる。
人はそれぞれが個人だ。
それぞれの人がユニークで、比類ない。
自分に似ているのは自分だけだ。他に似ている人は、この地上のどこにも
いない。

だから、自分の生命過程のルールとは何かを自分で見出すまでは、どの
ルールも自分のルールにはなり得ない。

osho



blissfullife at 19:50|Permalink

2016年09月08日

初めてのように見る by osho

2015・木01



初めてのように見る

私たちはいつも、お決まりの見方でものごとを見ている。
あなたが家に帰って来る――
あなたはほんとうには見ることなく、家を見る。あなたはそれを知っている、
だから見る必用などない。
あなたは何度も何度も、何年にも渡って家に入り続けて来た。
あなたがドアに近づき、ドアから入る――鍵をかけるかもしれない。
でも、もは や見る必要などない。

このプロセスのすべては、まるでロボットのように、機械的に無意識に
続いて行く。
もし何かがうまくいかなかったとき、たとえばあなたの鍵が鍵穴に
合わなかったら、そのとき初めてあなたは鍵穴を見る。
もし鍵が合えば、あなたは決して鍵穴を見ない。同じことを何度も
何度も繰り返している、その機械的な習慣ため、あなたは見ることの
能力を失う――あなたは見ることにおいての新鮮さを失ってしまう。

あなたが妻を最後に見たときのことを、思い出してごらん。
あなたがほんとうに妻や夫を見たのは、何年も前のことかもしれない。
いったい何年の間、あなたは見ていないだろう? 
何気なくちらっと見ながら通り過ぎるだけで、あなたはほんとうには
見ていない。

もう一度近づいて、まるで初めて見るかのように、妻や夫を見てごらん。
あなたの目は新鮮さで満たされ、目は生き生きとする。

子どもにとっては、すべてが新しい――
だからこそ、あらゆるものが彼らに興奮を与える。
浜辺にころがる石ころの色にさえ、彼らはとても興奮する。
そしてすべてが新しい世界であり、新しい次元だ。

子どもの目を見てごらん――
新鮮さと、輝く生き生きとした感じと、活力とともに。彼らは鏡のように、
静かに、しかし貫通してものを見る。
そのような目だけが、内側にとどくことができる。

何でもかまわない、自分の靴を見てごらん。あなたは何年もの間
それを使い続けて来たが、まるで初めて見るように、それを見てごらん。

そして違いを感じてみなさい――
あなたの意識の質は、突然変化する。このテクニックは、ただあなたの
目を新鮮にするためのものだ。とても新鮮に、生き生きと、輝くような
活力に満ち、目が内側に向かって行くことができるように。
そして、あなたが内なる自己を見ることができるように。

もしあなたが過去から自由になり、現在を知ることができるのを見たなら、
あなたは存在に入るだろう。

そして、この入ることは、二重だ――
あなたはすべての中へ、その精神の中へと入り、そしてあなた自身の
中へも入る。
なぜなら現在は扉だからだ。

すべての瞑想は、何とかしてあなたを現在に生きさせようとする試みだ。
だから、このテクニックはもっとも美しいテクニックのひとつであり、
そして容易だ。



blissfullife at 20:08|Permalink

2016年06月06日

ネガティブな感情と仲良くなる by osho

木98



「どこかに恐怖があるために、私は気後れし、頑なになり、悲しく、
 投げやりで、怒り、絶望しています。それはとても微妙なものなので、
 その所在を突き止めることさえできません。
 もっとはっきりと見ることはできないでしょうか? 」


悲しみ、投げやり、怒り、絶望、不安、苦悩、惨めさにかんして、唯一
問題なのは、あなたがそれらから逃れたがっていることだ。
それが唯一の障害だ。それらとともに生きていかなければいけない。
逃げることはできない。人生はそうした状況のなかでこそ、統合され、
成長していかなければならない。

それは人生のチャレンジだ。それを受け容れなさい。それは変装した祝福だ。
それから逃げようとしたら、どうにかして排除しようとしたら、問題が生じてくる。
というのも、なにかを排除しようとしたら、それを直視しなくなるからだ。
非難の目で見るために、それはあなたから隠れるようになる。
それは無意識のなか深くへ入り込んで、あなたの存在の暗い片隅に隠れ、
見つけられなくなる。あなたの存在の地下室へと移動し、そこに隠れてしまう。
当然、深くへ入り込めば入り込むほど、それは多くの問題をつくりだす。
あなたの存在の未知の片隅から働くようになり、あなたには手出しができなく
なる。

だからとにかく、けっして抑圧しないことだ。
とにかく、あるがままを受け容れなさい。それを受け止めて、出てこさせる――
自分の前に出てこさせる。じつのところ、「抑圧してはいけない」と言うだけでは
不十分だ。

許されるなら、私はこう言いたい、「それと仲良くなりなさい」と。
あなたが悲しいのなら、それと仲良くなり、それを哀れむことだ。
悲しみにも存在がある。それを許し、それを抱きしめ、それといっしょに坐り、
その手を握りなさい。仲良くなるがいい。それを好きになりなさい。悲しみは美しい!
それはよくないものではない。悲しいのはよくないなんてだれが言ったのかね? 
それどころか、あなたに深みを与えられるのは悲しみしかない。笑いは底が浅い。
幸福は皮一枚の厚さしかない。悲しみは骨にまで、髄にまで入り込む。
悲しみほど深く入り込むものはない。

だから心配しなくていい。それといっしょにいれば、悲しみはあなたをもっとも奥深い
中心にまで連れて行ってくれる。それに乗っていけば、自分の存在について今まで
知らなかったいくつかの新しいことを知ることができる。そうしたことは悲しみのなか
でしか明らかにならない。幸せなときにはけっして見えてこない。暗闇もまたいい。
暗闇もまた神聖だ。昼間だけが存在なのではない。
夜もまたそうだ。私はこの態度を宗教的と呼ぶ……。

忍耐強く悲しみのなかにいることができれば、ある朝、突然、ハートのなかにどこか
未知の源泉から幸せがわき起こってくることに気がつく。
その未知の源泉とは清らかな人格だ。本当に悲しんだら、それを自分のものにできる。
本当に絶望し、投げやりで、不幸せで、惨めになり、地獄に生きるようになれば、
天国を自分のものにできる。その対価は支払っている……。

人生に直面しなさい。人生に立ち向かいなさい。困難なときはあるだろうが、
ある日、あなたは気がつく。それらに立ち向かったおかげで、その困難な瞬間が
自分に強さを与えてくれた。それらはあってしかるべきものだった。
そうした困難な瞬間は通り抜けているときは辛いが、後になってみると、それが
自分をもっとしっかりさせてくれたことに気がつく。
それがなかったら、あなたは中心に据わり、地に着くことはなかっただろう。

世界中の古い宗教は抑圧的だ。未来の新しい宗教は表現豊かなものになる。
私はその新しい宗教をあなた方に教えている……表現をあなたの人生のもっとも
基本的なルールのひとつにしなさい。そのために苦しまなければならないとしたら、
苦しみなさい。なにかを失うことはけっしてない。その苦しみのおかげで、あなたは
もっともっと人生を楽しみ、人生を喜び祝うことができるようになる。

osho


blissfullife at 14:54|Permalink

2016年05月12日

条件づけ by osho

草02



親による条件づけは、世界でもっとも大きな隷属だ。
もし子どもが間違った育てられ方をしたら、人類全体がおかしくなる。

子どもは種だ。もし善意ある人たち、好意を寄せる人たちによって種
そのものが毒され、堕落させられたら、自由な人間個人は望めない。

何を怖れているのかというと、子どもがまさに最初から条件づけられずに
おかれたら、自分のライフスタイル全体が反逆になるほどその子は知性に
あふれ、油断せずに気づいているようになるからだ。

そして、誰も反逆者は望まない。誰もが従順な人たちを望んでいる。
親は従順な子どもが好きだ。
だが、いいかね、反逆的な子どもは知性のある子どもだ。
反逆的な子どもは顧みられたり愛されたりしない。
先生はその子が好きではないし、社会はその子を顧みない。
その子はつぶされてしまう。

天才はめったに起こらない。
天才が生まれるのは稀だからではない。
天才がめったに起こらないのは、社会の条件づけのプロセスから逃れるのが
とてもむずかしいからだ!
子どもがその支配力からなんとかうまく逃れるのは、たまにしかない。

もし子どもが他人から邪魔されずに自分の個性を育むのを許され、
助けられたら、私たちは素晴らしい世界を手にする。

そのときは、私たちには多くのブッダたち、多くのソクラテスたち、
そして多くのイエスたちがいることだろう。
私たちには途方もなくバラエティに富んだ天才たちがいることだろう。

by osho



blissfullife at 09:44|Permalink

2016年04月11日

自分の内側に入る行為は大いなる勇気が必要だ by osho

桜02



人びとは、他人に悪く言われているのではないかと恐れる。

というのも、自分自身についての理解は、他人の意見に依存して
いるからだ。
人びとには、自分自身についての直接的な理解がない。
自分自身を理解する直接的な体験がない。
この体験は起こるはずだが起こらない。

というのも、あなたがそれから逃げようとしているからだ。

マインドに直面するには、まず他人の言うことを気にしないこと、
他人にどう見られているかを気にしないことだ。

それよりも、あなたが本質的に何であるかに直面した方がいい。
独り在るなかで、自分のマインドを完全にさらけ出し、そこに
あるものを見るといい。

それは勇気ある行為だ。
自分の内側に潜む地獄の渦中へ入っていこうという決意は、
途方もなく勇気ある行為だ。

裸の自分を見ることは、大いに勇気ある行為だ。
大いなる勇気が必要だ。

osho



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2016年02月02日

愛を求める欲求を越えた者だけが、愛を与えることができる by osho

木24



あなたたち誰もが、自分は愛を知っていると思っている。
この幻想は途方もなく有害だ。
なぜならあなたは、すでに知っていると思うことに関しては、決してそれに
到達する努力や、それを目覚めさせる努力をしないからだ。

あなたたちのなかに、愛することのできる者はいない。
なぜなら、あなたたちの内側には愛が流れていないからだ。
あなたが誰かに「愛しているよ」と言うときは、実は愛を与えているのではなく、
愛を求めているのだ。

誰もが愛を求めている。
そして、みずから愛を求めている者が、どうして愛を与えることができるだろう?
愛を求める人びとが、どうして愛を与える者になれるだろう?

あなたたちはみな、お互いに愛を求め合っている。
あなたの本質は、愛してくださいとねだっている乞食だ。
あなたたちは、乞食椀を持ってお互いの前に立っている二人の乞食のようだ。

愛を求めているかぎり、愛を与えることはできない。
なぜなら求めることこそ、まさに内側に愛の源泉がないしるしだからだ。
さもなければ、どうして外側から愛を求める必要があるだろう?

愛を求める欲求を越えた者だけが、愛を与えることができる。

愛とは分かち合うものであり、ねだるものではない。
愛は皇帝だ。乞食ではない。
愛は与えることしか知らず、求めることをまったく知らない。

そして覚えておきなさい――
愛を求める人は、決してこの世で愛を手に入れることはできないと。

生の重要な法則のひとつ、永遠の法則のひとつはこうだ――
愛を求める人は、決して愛を得ることがない。

愛は、愛に対する欲望が消え去った家の扉にしか訪れない。
愛は、愛を求めるのをやめた者の家に降り注ぎ始める。

osho



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2016年01月27日

生き生きとした瞬間を思い出す by osho

木22


人間はしばしば悪いことだけを思い出して、良いことは忘れてしまうという
愚を犯す。
人びとが犯すいちばんの大きな過ちは、価値がない否定的なものだけを
覚えていて、真の価値があるものをすっかり忘れてしまうということだ。

愛情にあふれていたときのことなどめったに思い出さない。
からだがこの上もなく快調だったときのことなどめったに思い出さないが、
腹が立っていらいらしたときのことはいつも思い出すし、侮辱されて仕返しを
しようとしたときのことはいつも思い出す。
傷ついた出来事はいつも思い出すが、自分の栄養になる出来事はほとんど
思い出さない。

そういった栄養になる出来事を思い出すことが大切だ。
それをつねに思い出すことはふたつの面で役に立つ。

一番重要なのは、そういった大切な瞬間を思い出すことで、それがまた再び
起こる可能性が生まれてくるということだ。
悲しいことばかり思い出していたら、その人はまた不幸な目に会うことだろう。
そういったことになりやすい傾向をつくってきたのだから、彼の人生では似た
ようなことが何度も繰り返されるだろう。
そのような感情が内側にため込まれてしまい、それを何度も繰り返すことが
ますます容易になってゆく。

いつもどんな感情にとらわれやすいのかを、自分のなかを振り返って見る
といい。
誰しもが記憶をもっている。いつもどんな種類の経験を思い出すだろうか?
過去の記憶がどのようなものであれ、あなたは未来のために種子をまいて
いるのだろいうことを忘れてはいけない。
これから先も同じ経験を摘み取らねばならない。
過去の記憶が未来の敷石となる。

私たちは自分のなかに蓄えている記憶どおりの人間になる。
自分が覚えていることは自分の1部になる。
何かをしじゅう考えていたら、その思考は私たちのなかに変化を引き起こし、
それが一生にわたって影響を与える。

それだから、なんであれ自分にとって好ましいこと、善いこと、大事なことだけを
覚えているようにしなさい。
それに人生では…生まれてから一度も安らかな、幸せな、素晴らしい、愛に
満ちた瞬間をもったことがないという人はいない。

こういった瞬間を思い出すことによって強くなるなら、たとえ暗闇に包まれて
いるときでも、あなたのなかに燃える光があかあかとまわりを照らし出すこと
だろう。

まわりには悲しみがいっぱいのときでも、あなたは自分のなかの愛の、美の、
静寂の体験を携えているので、そういった悲しみを目にすることはないだろう。
棘に囲まれているときでも花に囲まれているかのように感じることができるかも
しれない。
だが、この逆もまた起こりうる。
すべてはあなた次第だ。

osho



blissfullife at 22:51|Permalink

2016年01月18日

「痛み」はあなたが創り出す by osho

木21



「愛するOSHO 
痛みや惨めさ、苦悩、苦痛といったことは理解し、
落としてしまうべきだということはよく知っています。
しかし、なぜこうした事柄ををおしまいにしてしまうのが
難しいのでしょうか」


だれも本気では、自分の苦悩を払い落としてしまいたくはないのだ。
あなたはとても真摯に、この問いかけをしなくてはならない。
あなたは孤独になる用意があるかね?
少なくとも苦悩、苦痛、惨めさは、あなたを特別な何者かにしてくれる。
それはあなたに何らかの人格や、ある種のアイデンティティを与えて
くれる。
何よりも、その惨めさはあなたのものであり、他の誰のものでもないのだ。
それはあなたの財産であり、特権なのだ。
もしそれが取り去られてしまったら、あなたは乞食になってしまうだろう。
あなたは私に、どうして惨めな状態を終わりにするのが難しいのかと
聞いている。
あなたがそれを終わりにしたくないから難しいのだ。

osho



blissfullife at 19:32|Permalink