osho(和尚)

2017年03月16日

するということの病気 by osho

UNI_0485


「リラクゼーションというのは、
 この瞬間で満ち足りていること、それ以上に何かを求めたり
 望んだりすることなどできないことだ。」

するということの病気

まず、活動の本質と、そこに隠された傾向を理解しなくてはならない。
そうでなければどんなリラクゼーションも不可能だ。
いくらあなたがそうしたいと思っても、自分の活動の本質を観察し、
よく見て、本当に理解したことがなければ、リラックスすることは
できないだろう。
というのも、活動というのはシンプルな現象ではないからだ。

多くの人がリラックスしたいと思っていて、リラックスできないでいる。
リラクゼーションは花が開くようなもの、それを無理に起こすことは
できない。
あなたはその現象全体を理解しなくてはならない。――
なぜあなたはそんなに活動的なのか、それほどまでに活動で
いっぱいになっているのか、それにとり憑かれているのか。

二つの言葉を覚えておきなさい。
ひとつは行動、もうひとつは活動。
行動は活動ではないし、活動は行動ではない。
その性質はまったく正反対だ。
行動というのは、状況がそれを必要とした時に、あなたは行動する、
対応するということ。
活動というのは状況にかかわりなく、対応でもない。
あなたは内側でとても落ち着きがないので、状況は活動のための
単なる口実にすぎないのだ。

行動は静かなマインドからやってくる。――
それは世界でもっとも美しいものだ。
活動は落ち着きのないマインドからやってくる。――
それはもっとも醜いもの。もっと行動するようにしなさい、
そして活動がひとりでに落ちていくに任せなさい。
変容はやがてやってくる。それには時間がかかるし、適当な時期
というのもある。しかし急ぐ必要もない。

さてあなたはもう、リラクゼーションの意味するところが
理解できるだろう。
それは、あなたの中に活動への衝動がない、ということだ。
リラクゼーションは、死人のように横たわっていることではない。
それに、死人のように横たわることなどできない、ただそのふりが
できるだけ。死人のように横たわるなんて、どうやってできる? 
あなたは生きているのだ、ただそのふりができるだけだ。

リラクゼーションは、あなたに活動への衝動がまったくない時に
やってくる。
エネルギーは落ち着いていて、どこへ向かっても動いていない。
ある状況が起こればあなたは行動する、ただそれだけだ。
けれどもあなたは、活動するための口実を探しているのではない。
あなたは自分自身に寛いでいる。
リラクゼーションとは落ち着いていることだ。

リラクゼーションとは身体だけのことではない、マインドだけの
ことではない。
それはあなたの全存在に係わることだ。

あなたは活動でいっぱいになっている。
当然のことながら疲れ、消耗し、枯れきって、凍りついている。
生命エネルギーは動いていない。
あるのはただブロック、またブロック、またしてもブロック。
そしてあなたが何かをする時は、ある種の狂気の中でやっている。
当然、リラックスする必要が生じてくる。
それで、リラクゼーションについての本が毎月たくさん書かれている
のだが、リラクゼーションについての本を読んでリラックスできた人など、
今まで一度も見たことがない! 
彼は前よりもっと熱狂している。
というのも、彼の人生すべての活動は未だ手つかずのままだからだ。
活動的であることへの強迫観念はそこにある、病気はそこにある、
そして彼はリラックスした状態にあるふりをして横たわっている。
すべての混乱が内側にある、火山はすぐにでも爆発しそうだ、
それなのに彼はリラックスしている、本の指示に従って。
リラックスのやり方。

あなたがリラックスする手助けをしてくれる本などない。――
あなたが自分自身の内なる存在を読むのでないかぎり。
そうすれば、リラクゼーションはすべきものではない。
リラクゼーションとは、あるものの不在だ。
それは活動の不在であって、行動しないということではない。

何もしないように! どんなヨガの姿勢も必要ないし、身体を
ねじったり、ゆがめたりする必要もない。
「何ひとつしないこと!」。
活動しないことだけが必要なのだ。
ではどうしたらそうなれるのだろう? 
それは理解することによってやってくる。

すべきことはただひとつ、理解するということだ。
あなたの活動を理解しなさい、すると突然、活動をしている最中に、
もしあなたが気づくならば、それは止む。
なぜそれをしているのかに気づくなら、その活動は止むだろう。
そして、この止むということこそ、ティロパの意味するところだ。

リラクゼーションというのは、この瞬間で満ち足りていること、
それ以上に何かを求めたり望んだりすることなどできないことだ。
何も求めるものはない、すでに充分すぎる、これ以上望むことなどできない。
するとエネルギーはどこへも動いていかず、穏やかな水のプールになる。
自分自身のエネルギーの中で、あなたは溶けていく。
この瞬間がリラクゼーションだ。
リラクゼーションは身体のものでもマインドのものでもない。
リラクゼーションはトータルなものだ。
それでブッダたちは言い続ける、「無欲になりなさい」、と。
というのも、もし欲望があったなら、あなたはリラックスできない
ということを彼等は知っているからだ。

リラクゼーションとは姿勢ではない。
リラクゼーションはあなたのエネルギー全体の変容だ。

osho





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2017年02月07日

ナーダブラーマ瞑想 by osho

UNI_1175



ナーダブラーマ瞑想は、ハミングを使ったチベットの古い
テクニックのひとつです。
oshoは現代人のために、このテクニックを1時間の瞑想法
として紹介しています。



ハミングは途方もなく役立ちうる。

しかも、それはいつでもできる。
少なくとも1日1度、2度できるならそれがいい。

それはあなたの全存在に平安をもたらすほど、偉大な内なる音楽だ。
そのときあなたの葛藤する部分は調和しはじめ、やがてあなたに
聞きとることのできる微妙な音楽が、体内に湧きあがってくる。

3~4カ月たったら、ただ静かに坐っているだけで微妙な音楽を、
内側のハーモニーを、一種のハミングを聞くことができる。

エンジンが好調にうなりをあげている車のように、あらゆることが完全に
順調に機能している。
腕ききのドライバーは、何かがうまくいっていないと分かるものだ。
乗客たちは気づいていないかもしれない。が、彼には車のうなりの変化が
たちどころに分かる。
そのとき、もはやうなりは調和のとれたものではない。
新しい騒音が生じている。
ほかの人は誰ひとり気づいていない。
が、運転を愛する人なら、すぐに何かがうまくいっていないことに、エンジンが
しかるべく機能していないことに気づく。

よいハミングをする人は、物事がうまくいっていない時、まもなくそれを
感じはじめる。
もし食べすぎたとしたら、あなたは内なる調和が失われていることに気づく。
そこで、やがては過食するか、内なる調和を保つかを選択しなければ
ならなくなる。

だが、内なる調和はあまりにも貴重な、あまりにも神性なとほうもない至福だ。
もっと食べることなど誰が気にする?
そして、まったく規定の食事をとる努力などなしに、あなたはよりバランスの
とれた食べ方をしている。
そうすると、ハミングはもっと深くはいり込み、どの食事がハミングの妨げに
なるかが分かるようになる。
消化の悪いものを食べると、それはあまりにも長く組織の中にとどまる。
そこで、ハミングがあまり完全なものではなくなる。

osho



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2017年01月24日

天国も地獄もあなたの外側にあるのではない by osho

木26



喜びに満ちた心というのは、星々のとても近くにある


悲しみ、悲嘆に暮れて、惨めな人達だけが、地獄へと向かっていく。
彼等は自分自身の地獄を作り出しているのだ。
喜びに満ち、歌い、踊り、祝っている人達は、自分の歌や踊りによって
天国を作り出している。

天国を作り出すか、暗闇に、地獄の炎に落ちるかは、あなた次第だ。
天国も地獄もあなたの外側にあるのではない。
どちらもあなたの内側にある。
すべては、あなたがどちらを選ぶかにかかっている。

神聖なものを選びなさい、もっともっと祝祭に満ち、陽気であることを
選びなさい。
そうすれば、あなたの存在にはもっとたくさんの花が咲き乱れ、
もっともっと芳香たる香りを手にすることができるだろう。

そうすることは、あなたの助けになるばかりでなく、あなたが出会う人達
すべての助けにもなる。
喜びは病気のように感染するものだ。
誰かが踊っているのを見ると、突然、あなたの足も踊り始めるのを感じる
だろう。

あなたはそれを抑えようとするかもしれない。
というのも、コントロールすることを教えられてきたからだ。
けれども、身体は一緒に踊りたがっている。

笑う機会があるならいつも、それに加わりなさい。
踊る機会があるならいつも、それに加わりなさい。
歌う機会があるならいつも、それに加わりなさい。
そうすれば、いずれあなたは、自分が天国を作り出したことに気付くだろう。

by osho



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2016年11月16日

母親になるということ03 by osho

UNI_1140



そして3つ目のこと・・・

道徳に耳を傾けてはならない、宗教に耳を傾けてはならない、文化に
耳を傾けてはならない・・・
「自然」に耳を傾けなさい。

自然であれば何であろうと・・・たとえそれが、時々あなたにとってとても
難しいとしても、あなたにとってはとても居心地が悪いとしてもだ・・・
なぜなら、あなたは自然に従って育てられては来なかったからだ。

あなたの両親は、あなたを真の芸術、愛では育てなかった。
それは偶発的なことに過ぎなかった。同じ間違いを繰り返してはいけない。
何度もあなたはとても不安に感じるだろう・・・。

たとえば、幼い子供が自分の性器で遊び始める。母親の普通の傾向は、
子供を止めることだ。なぜなら、彼女はこれはいけないことだと教えられて
きたからだ。たとえ彼女が何も悪いことではないと感じるとしても、そこに
誰かがいれば彼女は少しきまり悪く感じる。
きまり悪く感じなさい!それはあなたの問題だ。子供とは何の関係もない。
きまり悪く感じなさい。たとえそれで、あなたが社会において尊敬を失うことに
なるとしても。

決して子供の邪魔をしてはいけない。自然に自らの道を取らせなさい。
自然が開いて見せようとしていることを、何であれ容易にする為にあなたは
そこにいる。
あなたは自然を監督するべきではない。
あなたはただ助けとして、そこにいるべきだ。

だから、この3つのこと・・・そして、瞑想し始めなさい。
子供が生まれる前に、あなたは出来る限り深く瞑想の中に入って行くべきだ。

子供があなたの子宮の中にいる時、あなたが何をしていようとも、すべて
絶え間なく子供にヴァイブレーション(振動)として伝わる。

もしあなたが怒れば、あなたの胃は怒りで緊張している。子供はすぐにそれを
感じる。悲しい時は、あなたの胃は悲しみの雰囲気を持っている。
すぐに子供は活気なく落ち込んで行くのを感じる。子供は完全にあなた次第だ。
子供はまだ自立していない。あなたの風土が彼の風土だ。だから、もう争いは
なしだ、もう怒りはなしだ。

だからこそ、私は母になることは偉大な責任だと言っている。
あなたは多くを犠牲にしなければならないだろう・・・。
もしまさに最初から、怒り、憎しみ、衝突が子供のマインドの中に入れば、
その時には、あなたは彼の為に地獄を引き起こしている。彼は苦しむだろう。

そうであれば、子供を世界の中にもたらさない方がいい。
なぜ子供を苦しみの中に連れて来るのか?
世界は途方もなく苦しんでいる。
そもそもこの世界の中に子供を産み落とすことは、とても危険なことだ。
しかし、それでもあなたがそうしたかったら、せめてこの世界において、
まったく違う子供をもたらしなさい・・・

惨めではなく、少なくとももう少し世界が祝うのを助ける子供を。
彼は世界の中に、もう少し祝祭をもたらすだろう・・・
もう少し多くの笑いを、愛を、生を・・・

osho




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2016年11月15日

母親になるということ02 by osho

UNI_11533



そして2つ目のことは、成人した人を扱うように子供を扱いなさい。
決して子供を子供のように扱ってはならない。
子供を深い尊敬をもって扱いなさい。

神はあなたを主人(ホスト)として選んだ。神は客(ゲスト)としてあなたの存在の
中へ入って来た。
子供はとても壊れやすく、無力だ。子供を尊敬することはとても難しい。

子供に屈辱を与えるのはとても簡単だ。屈辱はごく簡単に生じる。
なぜなら、子供は無力で何も出来ないからだ。
仕返しすることも、反抗することも出来ないからだ。

子供を成人として、そして偉大な尊敬をもって扱いなさい。
ひとたびあなたが子供を尊敬するようになると、あなたは自分の考えを
彼に押しつけようとしなくなる。

あなたはただ彼に自由を与える・・・世界を探検する為の自由だ。
あなたは彼が世界を探検するにあたって、もっともっと力強くなるのを助ける。
だが、決して彼に方向を与えたりしない。

あなたは彼にエネルギーを与える、あなたは彼に保護を与える、あなたは
彼に安全を与える・・・彼が必要なすべてを・・・だが、あなたは彼が世界を
探検する為に、あなたの元から遠く離れて行くのを助ける。

そしてもちろん、自由には間違いもまた含まれている。
母親にとってそれを学ぶのはとても難しい。
あなたが子供に自由を与える時、それはよいことをするだけの自由では
ないからだ。
悪いことをする自由、間違う自由もまた必要だ。
だから子供を注意深く、賢くあらしめなさい。

だが、彼にどんな戒律も決して与えてはならない・・・
誰もそれらを守りはしない。が、人々は偽善者になる。

だから、もしあなたが本当に子供を愛するのなら、ひとつのことを覚えて
おかなければならない。
絶対に、絶対にいかなる方法であれ、偽善者になるように彼を助けたり、
強制したりしてはならない。




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2016年11月14日

母親になるということ01 by osho

UNI_113111



質問:母親になることについて話してください。


母親になることは、この世でもっとも偉大な責任のひとつだ。

実に多くの人々が精神分析医のカウチの上にいる状態だ。
そして、実に多くの人々が精神病院に入っている。
そして、実に多くの狂った人々が精神病院の外にいる。

もし、あなたが人類の神経症に深く入って行ったら、あなたはつねに
母親を発見するだろう。
なぜなら、とても多くの女性が母親になりたがるが、彼女達はいかにして
母親になるかを知らないからだ。

ひとたび母親と子供の関係がおかしくなってしまうと、子供の一生は
間違った方向に向かう。
なぜなら、それは世界との子供の最初の接触、彼の最初の関係だからだ。
他のすべては皆それとつながって行く。そしてもし、その最初の一歩が
間違って踏み出されると、生涯が台無しになる。

人は承知の上で母親になるべきだ。あなたは人類が受けることの出来る、
もっとも偉大な責任のひとつを引き受けている。
男性の方がその意味では少し自由だ。なぜなら、彼らは母親になることの
責任を引き受けることが出来ないからだ。

女性にはより多くの責任がある。だから母親になるがいい。だが女だからと
いって、母親になるのは当たり前だと捉(とら)えてはいけない・・・それは
誤った考えだ。

母性は偉大な芸術(アート)だ!
あなたはそれを学ばなければならない。
だからそれについて学び始めなさい!

2、3のことを私はあなたに言いたい。
最初に、決して子供をあなたのものとして扱ってはいけない。
決して子供を所有してはならない。
子供はあなたを通してやって来るが、あなたのものではない。
神があなたを乗物として、媒体としてただ使っただけであり、子供はあなたの
所有物ではない。
愛しなさい。だが決して子供を所有してはならない。

もし母親が子供を所有し始めたら、その時には彼の生は破壊される。
子供は囚人になり始める。あなたは彼の個性を壊し、彼を物に貶(おとし)めて
しまっている。

物しか所有出来ない。家を所有することは出来る、車を所有することは出来る・・・
人を所有することは決して出来ない。
だからこれが最初のレッスンだ・・・その為に用意を整えなさい。
子供がやって来る前に、あなたは彼を独立した存在として迎えることが出来ている
べきだ。
彼自身の権利において、ひとりの人物として、単にあなたの子供としてではなく。

osho


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2016年09月15日

正しい睡眠 by osho

UNI_1098


正しい睡眠

人間の文明の発展の中でもっとも害されてきたのは、睡眠だ。
人間が人工の光を発見したその日から、睡眠は大きな問題を抱えるようになった。
そして、道具がますます人間の手に入るようになるにつれて、睡眠は必要のない
ものだ、多くの時間が無駄に費やされている、と人間は感じ始めるようになった。
だから、より短い睡眠ですませることができればできるほどよい。

睡眠は生のより深いプロセスに対してなんらかの貢献をしているという考えは、
人びとには浮かばない。
彼らは、睡眠に費やす時間は無駄になる時間だから、眠るのは短いほどいい、
睡眠量を早く減らせば減らすほどいい、と考える。

あらゆる病気、人間の生に入り込んだあらゆる異常の背後にある原因は、
睡眠の不足だということに私たちは気づいてすらいない。
正しく眠ることのできない人は正しく生きることができない。

睡眠は時間の無駄ではないのだ。8時間の睡眠は無駄に使われてはいない。
逆に、この8時間の睡眠ゆえに、あなたは16時間のあいだ目を覚ましていることが
できる。さもなければ、その間ずっと目を覚ましていることはできないだろう。

この8時間のあいだに生命エネルギーが蓄積され、あなたの生は再び活力を
与えられ、あなたの脳と心臓のセンターは静まり、そしてあなたの生はあなたの
へそのセンターから働く。
この8時間の睡眠ゆえに、あなたは再び自然と、そして存在とひとつになったのだ。
あなたが再び活力を得るようになるのはそのためだ。

睡眠は人間の生に戻ってくる必要がある。
実際に、人類の精神の健康にとって、この先100年か200年のあいだ、睡眠は
法律で義務付けられなければならないという以外に、他の選択肢はない、
他の手段はない。

瞑想する人にとって、適切で充分な睡眠を取るように心がけるのはひじょうに
重要だ。
そして、もうひとつのことが理解されなければならない——
正しい睡眠は人によってそれぞれ違う。
肉体の要求はみなそれぞれ……年齢と、その他の多くの要素次第で違うのだから、
同じではない。

朝の5時に起きるのが誰にとってもいいことだ、といつも言われている。
これはまったくの間違いで、非科学的だ。誰にでもいいわけではない。
ある人たちにはいいかもしれないが、他の人たちには害を及ぼすかもしれない。
24時間のうち、およそ3時間は、人それぞれに体温が下がる。
そしてこの3時間は、もっと深い眠りの時間だ。
もしこの3時間のあいだ目覚めていたら、その人の1日はすべて損なわれ、
その人のエネルギーはすべて乱される。

一般的に、この3時間は朝の2時から5時の間だ。ほとんどの人にとって、
この3時間は朝の2時から5時の間だが、それは誰にでもあてはまるわけ
ではない。
6時まで体温が低い人たちもいれば、7時まで低い人たちもいる。
朝の4時に体温が標準になり始める人たちもいる。
だから、体温が低いこの時間に起きると、その人の1日24時間はすべて
損なわれ、有害な影響が及ぶ。
体温が標準のレベルにまで上がり始める時だけが、その人の起きる時間なのだ。

普通は、日の出とともに起きるのが誰にとってもいい。
陽が昇るにつれてみんなの体温が上がり始めるからだ。
だが、これはルールではない。例外がいくつかある。ある人たちにとっては、
日の出より少し遅くまで眠る必要があるかもしれない。
なぜなら、個人の体温はそれぞれ異なった時間に、異なったペースで上昇
するからだ。だから、人はそれぞれ、自分にはどれだけの睡眠時間が必要
なのか、そして自分が起きるのに健康的な時間はいつなのかを見出さな
ければならない。そして、それがその人のルールだ……
教典がどう言っていようとも、導師たちがどう言っていようとも。
彼らの言うことを聞く必要はまったくない。

正しい睡眠にとっては、より深く、より長く眠ることができるほどよい。
だが、私はあなたに、眠りなさいと言っているのであって、ベッドに横になって
いなさいと言っているのではない! 
ベッドに横になっているのは眠りではない!

目を覚ますのが自分にとっては健康的だと感じるときに目を覚ますのが、
あなたのルールであるべきだ。
たいていそれは日の出とともに起こるが、あなたにはそれが起こらないことも
あり得る。

だから、人はそれぞれ、自分にとってもっとも良い手筈は何なのかを発見
しなければならない。
3か月の間、それぞれが自分の仕事で、自分の睡眠で、そして自分の食事で
試してみなければならない。
そして、自分にとってもっと健康的で、もっとも安らかで、もっとも至福に満ちた
ルールは何かを見出さなければならない。

そして、誰もが自分自身のルールを作るべきだ。
似ている人はふたりといない。
だから、誰にでも適用できる共通のルールはない。
誰かが共通のルールを適用しようとすると、きまって悪い影響が生じる。
人はそれぞれが個人だ。
それぞれの人がユニークで、比類ない。
自分に似ているのは自分だけだ。他に似ている人は、この地上のどこにも
いない。

だから、自分の生命過程のルールとは何かを自分で見出すまでは、どの
ルールも自分のルールにはなり得ない。

osho



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2016年09月08日

初めてのように見る by osho

2015・木01



初めてのように見る

私たちはいつも、お決まりの見方でものごとを見ている。
あなたが家に帰って来る――
あなたはほんとうには見ることなく、家を見る。あなたはそれを知っている、
だから見る必用などない。
あなたは何度も何度も、何年にも渡って家に入り続けて来た。
あなたがドアに近づき、ドアから入る――鍵をかけるかもしれない。
でも、もは や見る必要などない。

このプロセスのすべては、まるでロボットのように、機械的に無意識に
続いて行く。
もし何かがうまくいかなかったとき、たとえばあなたの鍵が鍵穴に
合わなかったら、そのとき初めてあなたは鍵穴を見る。
もし鍵が合えば、あなたは決して鍵穴を見ない。同じことを何度も
何度も繰り返している、その機械的な習慣ため、あなたは見ることの
能力を失う――あなたは見ることにおいての新鮮さを失ってしまう。

あなたが妻を最後に見たときのことを、思い出してごらん。
あなたがほんとうに妻や夫を見たのは、何年も前のことかもしれない。
いったい何年の間、あなたは見ていないだろう? 
何気なくちらっと見ながら通り過ぎるだけで、あなたはほんとうには
見ていない。

もう一度近づいて、まるで初めて見るかのように、妻や夫を見てごらん。
あなたの目は新鮮さで満たされ、目は生き生きとする。

子どもにとっては、すべてが新しい――
だからこそ、あらゆるものが彼らに興奮を与える。
浜辺にころがる石ころの色にさえ、彼らはとても興奮する。
そしてすべてが新しい世界であり、新しい次元だ。

子どもの目を見てごらん――
新鮮さと、輝く生き生きとした感じと、活力とともに。彼らは鏡のように、
静かに、しかし貫通してものを見る。
そのような目だけが、内側にとどくことができる。

何でもかまわない、自分の靴を見てごらん。あなたは何年もの間
それを使い続けて来たが、まるで初めて見るように、それを見てごらん。

そして違いを感じてみなさい――
あなたの意識の質は、突然変化する。このテクニックは、ただあなたの
目を新鮮にするためのものだ。とても新鮮に、生き生きと、輝くような
活力に満ち、目が内側に向かって行くことができるように。
そして、あなたが内なる自己を見ることができるように。

もしあなたが過去から自由になり、現在を知ることができるのを見たなら、
あなたは存在に入るだろう。

そして、この入ることは、二重だ――
あなたはすべての中へ、その精神の中へと入り、そしてあなた自身の
中へも入る。
なぜなら現在は扉だからだ。

すべての瞑想は、何とかしてあなたを現在に生きさせようとする試みだ。
だから、このテクニックはもっとも美しいテクニックのひとつであり、
そして容易だ。



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2016年06月06日

ネガティブな感情と仲良くなる by osho

木98



「どこかに恐怖があるために、私は気後れし、頑なになり、悲しく、
 投げやりで、怒り、絶望しています。それはとても微妙なものなので、
 その所在を突き止めることさえできません。
 もっとはっきりと見ることはできないでしょうか? 」


悲しみ、投げやり、怒り、絶望、不安、苦悩、惨めさにかんして、唯一
問題なのは、あなたがそれらから逃れたがっていることだ。
それが唯一の障害だ。それらとともに生きていかなければいけない。
逃げることはできない。人生はそうした状況のなかでこそ、統合され、
成長していかなければならない。

それは人生のチャレンジだ。それを受け容れなさい。それは変装した祝福だ。
それから逃げようとしたら、どうにかして排除しようとしたら、問題が生じてくる。
というのも、なにかを排除しようとしたら、それを直視しなくなるからだ。
非難の目で見るために、それはあなたから隠れるようになる。
それは無意識のなか深くへ入り込んで、あなたの存在の暗い片隅に隠れ、
見つけられなくなる。あなたの存在の地下室へと移動し、そこに隠れてしまう。
当然、深くへ入り込めば入り込むほど、それは多くの問題をつくりだす。
あなたの存在の未知の片隅から働くようになり、あなたには手出しができなく
なる。

だからとにかく、けっして抑圧しないことだ。
とにかく、あるがままを受け容れなさい。それを受け止めて、出てこさせる――
自分の前に出てこさせる。じつのところ、「抑圧してはいけない」と言うだけでは
不十分だ。

許されるなら、私はこう言いたい、「それと仲良くなりなさい」と。
あなたが悲しいのなら、それと仲良くなり、それを哀れむことだ。
悲しみにも存在がある。それを許し、それを抱きしめ、それといっしょに坐り、
その手を握りなさい。仲良くなるがいい。それを好きになりなさい。悲しみは美しい!
それはよくないものではない。悲しいのはよくないなんてだれが言ったのかね? 
それどころか、あなたに深みを与えられるのは悲しみしかない。笑いは底が浅い。
幸福は皮一枚の厚さしかない。悲しみは骨にまで、髄にまで入り込む。
悲しみほど深く入り込むものはない。

だから心配しなくていい。それといっしょにいれば、悲しみはあなたをもっとも奥深い
中心にまで連れて行ってくれる。それに乗っていけば、自分の存在について今まで
知らなかったいくつかの新しいことを知ることができる。そうしたことは悲しみのなか
でしか明らかにならない。幸せなときにはけっして見えてこない。暗闇もまたいい。
暗闇もまた神聖だ。昼間だけが存在なのではない。
夜もまたそうだ。私はこの態度を宗教的と呼ぶ……。

忍耐強く悲しみのなかにいることができれば、ある朝、突然、ハートのなかにどこか
未知の源泉から幸せがわき起こってくることに気がつく。
その未知の源泉とは清らかな人格だ。本当に悲しんだら、それを自分のものにできる。
本当に絶望し、投げやりで、不幸せで、惨めになり、地獄に生きるようになれば、
天国を自分のものにできる。その対価は支払っている……。

人生に直面しなさい。人生に立ち向かいなさい。困難なときはあるだろうが、
ある日、あなたは気がつく。それらに立ち向かったおかげで、その困難な瞬間が
自分に強さを与えてくれた。それらはあってしかるべきものだった。
そうした困難な瞬間は通り抜けているときは辛いが、後になってみると、それが
自分をもっとしっかりさせてくれたことに気がつく。
それがなかったら、あなたは中心に据わり、地に着くことはなかっただろう。

世界中の古い宗教は抑圧的だ。未来の新しい宗教は表現豊かなものになる。
私はその新しい宗教をあなた方に教えている……表現をあなたの人生のもっとも
基本的なルールのひとつにしなさい。そのために苦しまなければならないとしたら、
苦しみなさい。なにかを失うことはけっしてない。その苦しみのおかげで、あなたは
もっともっと人生を楽しみ、人生を喜び祝うことができるようになる。

osho


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2016年05月12日

条件づけ by osho

草02



親による条件づけは、世界でもっとも大きな隷属だ。
もし子どもが間違った育てられ方をしたら、人類全体がおかしくなる。

子どもは種だ。もし善意ある人たち、好意を寄せる人たちによって種
そのものが毒され、堕落させられたら、自由な人間個人は望めない。

何を怖れているのかというと、子どもがまさに最初から条件づけられずに
おかれたら、自分のライフスタイル全体が反逆になるほどその子は知性に
あふれ、油断せずに気づいているようになるからだ。

そして、誰も反逆者は望まない。誰もが従順な人たちを望んでいる。
親は従順な子どもが好きだ。
だが、いいかね、反逆的な子どもは知性のある子どもだ。
反逆的な子どもは顧みられたり愛されたりしない。
先生はその子が好きではないし、社会はその子を顧みない。
その子はつぶされてしまう。

天才はめったに起こらない。
天才が生まれるのは稀だからではない。
天才がめったに起こらないのは、社会の条件づけのプロセスから逃れるのが
とてもむずかしいからだ!
子どもがその支配力からなんとかうまく逃れるのは、たまにしかない。

もし子どもが他人から邪魔されずに自分の個性を育むのを許され、
助けられたら、私たちは素晴らしい世界を手にする。

そのときは、私たちには多くのブッダたち、多くのソクラテスたち、
そして多くのイエスたちがいることだろう。
私たちには途方もなくバラエティに富んだ天才たちがいることだろう。

by osho



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