osho(和尚)

2017年05月22日

木と友になる by osho



木と友になる

1本の木に近づき、その木に語りかけなさい
その木に触れなさい
その木を抱擁しなさい
その木を感じなさい
その木の傍らに坐ってごらん━
あなたはいい人で、傷つける気持ちなどないことをその木に
感じさせなさい
まもなく友情が湧き上がり
あなたが訪れると、その木の質がたちまち変化するのを感じ
始める
あなたはそれを感じる
あなたが訪れると、その木の樹皮にはかりしれないエネルギーが
動くのを感じる
あなたがその木に触れると、彼女は子供のように、最愛の人の
ように幸せになる
その木のそばにすわると、あなたは多くのことを感じる
そしてまもなく、あなたが悲しんで木のものとにやってくると
あなたの悲しみが、まさにその木の存在によって消えてゆくのが
感じられる
そのときはじめて
あなたは自分たちが依存しあっているのを理解できる
あなたは木を幸せにすることができる
そして、その<生>の全体が相互に依存している
この相互依存をこそ、私は<神>と呼ぶ

osho




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2017年05月19日

楽天的な気分を養う by osho



楽天的な気分を養う

究極なものが起こること、必ずそれが起こることに対して、
できるかぎり楽天的でありなさい。

あなたがどこまでも楽天的なら、体のあらゆる細胞が
楽観に満ち溢れ、肌のあらゆる毛穴が楽観に満ち溢れ、
すべての呼吸が楽観に満ち溢れ、あらゆる思考が楽観の
光を受ける。

あなたの生命力は楽観で脈打ち、あなたの鼓動は楽観に
みなぎる。

あながの存在全体が楽観に満たされるとき、それはあなたの
内側に究極なるものが起こり得る状況をつくり出す。

この道を歩こうと思う者は、とことん楽天的でないと
いけない。

楽天的な気分を保ちなさい。
寝るときは、楽観に満ちて眠りにつきなさい。

osho


blissfullife at 17:55|Permalink

2017年04月13日

安楽死 by osho

UNI_0019



ある程度の年齢になり、すでに十分に生きて、不必要にだらだらと
生き続けたくない時、あらゆる人が基本的な権利を与えられるべきだ。

明日は再び単なる繰り返しで、彼は明日へのあらゆる好奇心を
失ってしまった。
彼には身体を去る十分な権利がある。
それは彼の基本的な権利だ。
それは彼の生だ。

もし続けたくないなら、誰も止めるべきではない。
それどころか、すべての病院が特別な病棟を持つべきだ。
死を望む人びとがその1カ月前に入り、リラックスして、
生涯やりたかったのにやれなかったすべてを楽しむことができる。
音楽、文学……絵を描くこと、彫刻を彫ること……。
そして医者は彼らに、いかにくつろげばいいのか、しっかりと
教えるべきだ。

これまで死はほとんど醜いものであり続けてきた。
人は犠牲者であり続けてきたが、それは私たちの誤りだ。
死を祝祭にすることができる。
いかにそれをくつろいで、穏かに歓迎するか、あなたはただ
学ばなければならない。

そして1カ月の間、人びとが、友人が、彼らに会いに訪れ、
集うことができる。
すべての病院が特別な施設を持つべきだ
――生きようとしている人びとのためよりもむしろ、死のうと
している人びとのための施設を。

少なくとも1カ月間、彼らを皇帝のように生きさせるがいい。
何の恨みも、何の不満も持たず、ただ深い感謝、ありがたく思う
気持ちとともに、彼らが生を去ることができるように。

osho



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2017年04月11日

あらゆる変化があなたの呼吸の変化を通して起こる by osho

UNI_0930



呼吸は、気を配らなければならないことの一つだ。
というのはそれは、もっとも大切なことのひとつだから。
十分に呼吸していなければ、あなたは十分に生きられない。

つまりほとんどあらゆる所で、あなたは何かを抑えている、
愛している時でさえ。話している時でさえ、抑えている。
あなたは完全にはコミュニケートしない。
何かがいつも不完全なままだ。

いったん呼吸が完璧になれば、他のあらゆることが調和する。
呼吸することは、生だ。
しかし人びとはそれを無視している。
それについて全く心配していない。それに注意を向けない。

しかし起ころうとするあらゆる変化が、あなたの呼吸の変化を
通して、起こるだろう。

もし長い間、あなたが、間違って呼吸をしてきた、浅い呼吸を
してきたなら、筋肉組織は固定してしまっている。
そうなると、単なるあなたの意志の問題ではなくなる。
それは誰かが何年も動かないでいたようなものだ。

呼吸の通路には、そのまわりにある特定の筋肉組織がある。
そしてもし間違って呼吸していると、
——ほとんどすべての人がそうだが——
筋肉組織が固定してしまっている。
今やあなた自身努力で変えるには長い時間が必要だ、そして
それは時間の不必要な浪費だ。

誰もが間違って呼吸している。
というのは、社会全体が非常に間違った条件付け、考え、態度に
基づいているからだ。
例えば、幼い子どもがすすり泣く、すると母親は泣くなと言う。
その子どもは何をしたらいいだろう? 
泣くことは、起こっていることだ。
ところが、母親は泣くなと言う。
彼は呼吸を抑え始めるだろう。
それが、泣くのを止めるたった一つの方法だからだ。

あなたが呼吸を抑えれば、あらゆることが止まってしまう。
泣くこと、涙、あらゆることだ。
そうなると、だんだんとそれが固定したことになってしまう。
——怒ってはだめだ、泣いてはだめだ、これはするな、あれはするな。
あらゆる子どもが生まれてきた時にするような、完璧で、全面的な
呼吸をすれば、彼は野生的になってしまう。
だから彼は、自らを不自由な状態にしてしまう。

osho




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2017年03月16日

するということの病気 by osho

UNI_0485


「リラクゼーションというのは、
 この瞬間で満ち足りていること、それ以上に何かを求めたり
 望んだりすることなどできないことだ。」

するということの病気

まず、活動の本質と、そこに隠された傾向を理解しなくてはならない。
そうでなければどんなリラクゼーションも不可能だ。
いくらあなたがそうしたいと思っても、自分の活動の本質を観察し、
よく見て、本当に理解したことがなければ、リラックスすることは
できないだろう。
というのも、活動というのはシンプルな現象ではないからだ。

多くの人がリラックスしたいと思っていて、リラックスできないでいる。
リラクゼーションは花が開くようなもの、それを無理に起こすことは
できない。
あなたはその現象全体を理解しなくてはならない。――
なぜあなたはそんなに活動的なのか、それほどまでに活動で
いっぱいになっているのか、それにとり憑かれているのか。

二つの言葉を覚えておきなさい。
ひとつは行動、もうひとつは活動。
行動は活動ではないし、活動は行動ではない。
その性質はまったく正反対だ。
行動というのは、状況がそれを必要とした時に、あなたは行動する、
対応するということ。
活動というのは状況にかかわりなく、対応でもない。
あなたは内側でとても落ち着きがないので、状況は活動のための
単なる口実にすぎないのだ。

行動は静かなマインドからやってくる。――
それは世界でもっとも美しいものだ。
活動は落ち着きのないマインドからやってくる。――
それはもっとも醜いもの。もっと行動するようにしなさい、
そして活動がひとりでに落ちていくに任せなさい。
変容はやがてやってくる。それには時間がかかるし、適当な時期
というのもある。しかし急ぐ必要もない。

さてあなたはもう、リラクゼーションの意味するところが
理解できるだろう。
それは、あなたの中に活動への衝動がない、ということだ。
リラクゼーションは、死人のように横たわっていることではない。
それに、死人のように横たわることなどできない、ただそのふりが
できるだけ。死人のように横たわるなんて、どうやってできる? 
あなたは生きているのだ、ただそのふりができるだけだ。

リラクゼーションは、あなたに活動への衝動がまったくない時に
やってくる。
エネルギーは落ち着いていて、どこへ向かっても動いていない。
ある状況が起こればあなたは行動する、ただそれだけだ。
けれどもあなたは、活動するための口実を探しているのではない。
あなたは自分自身に寛いでいる。
リラクゼーションとは落ち着いていることだ。

リラクゼーションとは身体だけのことではない、マインドだけの
ことではない。
それはあなたの全存在に係わることだ。

あなたは活動でいっぱいになっている。
当然のことながら疲れ、消耗し、枯れきって、凍りついている。
生命エネルギーは動いていない。
あるのはただブロック、またブロック、またしてもブロック。
そしてあなたが何かをする時は、ある種の狂気の中でやっている。
当然、リラックスする必要が生じてくる。
それで、リラクゼーションについての本が毎月たくさん書かれている
のだが、リラクゼーションについての本を読んでリラックスできた人など、
今まで一度も見たことがない! 
彼は前よりもっと熱狂している。
というのも、彼の人生すべての活動は未だ手つかずのままだからだ。
活動的であることへの強迫観念はそこにある、病気はそこにある、
そして彼はリラックスした状態にあるふりをして横たわっている。
すべての混乱が内側にある、火山はすぐにでも爆発しそうだ、
それなのに彼はリラックスしている、本の指示に従って。
リラックスのやり方。

あなたがリラックスする手助けをしてくれる本などない。――
あなたが自分自身の内なる存在を読むのでないかぎり。
そうすれば、リラクゼーションはすべきものではない。
リラクゼーションとは、あるものの不在だ。
それは活動の不在であって、行動しないということではない。

何もしないように! どんなヨガの姿勢も必要ないし、身体を
ねじったり、ゆがめたりする必要もない。
「何ひとつしないこと!」。
活動しないことだけが必要なのだ。
ではどうしたらそうなれるのだろう? 
それは理解することによってやってくる。

すべきことはただひとつ、理解するということだ。
あなたの活動を理解しなさい、すると突然、活動をしている最中に、
もしあなたが気づくならば、それは止む。
なぜそれをしているのかに気づくなら、その活動は止むだろう。
そして、この止むということこそ、ティロパの意味するところだ。

リラクゼーションというのは、この瞬間で満ち足りていること、
それ以上に何かを求めたり望んだりすることなどできないことだ。
何も求めるものはない、すでに充分すぎる、これ以上望むことなどできない。
するとエネルギーはどこへも動いていかず、穏やかな水のプールになる。
自分自身のエネルギーの中で、あなたは溶けていく。
この瞬間がリラクゼーションだ。
リラクゼーションは身体のものでもマインドのものでもない。
リラクゼーションはトータルなものだ。
それでブッダたちは言い続ける、「無欲になりなさい」、と。
というのも、もし欲望があったなら、あなたはリラックスできない
ということを彼等は知っているからだ。

リラクゼーションとは姿勢ではない。
リラクゼーションはあなたのエネルギー全体の変容だ。

osho





blissfullife at 12:50|Permalink

2017年02月07日

ナーダブラーマ瞑想 by osho

UNI_1175



ナーダブラーマ瞑想は、ハミングを使ったチベットの古い
テクニックのひとつです。
oshoは現代人のために、このテクニックを1時間の瞑想法
として紹介しています。



ハミングは途方もなく役立ちうる。

しかも、それはいつでもできる。
少なくとも1日1度、2度できるならそれがいい。

それはあなたの全存在に平安をもたらすほど、偉大な内なる音楽だ。
そのときあなたの葛藤する部分は調和しはじめ、やがてあなたに
聞きとることのできる微妙な音楽が、体内に湧きあがってくる。

3~4カ月たったら、ただ静かに坐っているだけで微妙な音楽を、
内側のハーモニーを、一種のハミングを聞くことができる。

エンジンが好調にうなりをあげている車のように、あらゆることが完全に
順調に機能している。
腕ききのドライバーは、何かがうまくいっていないと分かるものだ。
乗客たちは気づいていないかもしれない。が、彼には車のうなりの変化が
たちどころに分かる。
そのとき、もはやうなりは調和のとれたものではない。
新しい騒音が生じている。
ほかの人は誰ひとり気づいていない。
が、運転を愛する人なら、すぐに何かがうまくいっていないことに、エンジンが
しかるべく機能していないことに気づく。

よいハミングをする人は、物事がうまくいっていない時、まもなくそれを
感じはじめる。
もし食べすぎたとしたら、あなたは内なる調和が失われていることに気づく。
そこで、やがては過食するか、内なる調和を保つかを選択しなければ
ならなくなる。

だが、内なる調和はあまりにも貴重な、あまりにも神性なとほうもない至福だ。
もっと食べることなど誰が気にする?
そして、まったく規定の食事をとる努力などなしに、あなたはよりバランスの
とれた食べ方をしている。
そうすると、ハミングはもっと深くはいり込み、どの食事がハミングの妨げに
なるかが分かるようになる。
消化の悪いものを食べると、それはあまりにも長く組織の中にとどまる。
そこで、ハミングがあまり完全なものではなくなる。

osho



blissfullife at 13:15|Permalink

2017年01月24日

天国も地獄もあなたの外側にあるのではない by osho

木26



喜びに満ちた心というのは、星々のとても近くにある


悲しみ、悲嘆に暮れて、惨めな人達だけが、地獄へと向かっていく。
彼等は自分自身の地獄を作り出しているのだ。
喜びに満ち、歌い、踊り、祝っている人達は、自分の歌や踊りによって
天国を作り出している。

天国を作り出すか、暗闇に、地獄の炎に落ちるかは、あなた次第だ。
天国も地獄もあなたの外側にあるのではない。
どちらもあなたの内側にある。
すべては、あなたがどちらを選ぶかにかかっている。

神聖なものを選びなさい、もっともっと祝祭に満ち、陽気であることを
選びなさい。
そうすれば、あなたの存在にはもっとたくさんの花が咲き乱れ、
もっともっと芳香たる香りを手にすることができるだろう。

そうすることは、あなたの助けになるばかりでなく、あなたが出会う人達
すべての助けにもなる。
喜びは病気のように感染するものだ。
誰かが踊っているのを見ると、突然、あなたの足も踊り始めるのを感じる
だろう。

あなたはそれを抑えようとするかもしれない。
というのも、コントロールすることを教えられてきたからだ。
けれども、身体は一緒に踊りたがっている。

笑う機会があるならいつも、それに加わりなさい。
踊る機会があるならいつも、それに加わりなさい。
歌う機会があるならいつも、それに加わりなさい。
そうすれば、いずれあなたは、自分が天国を作り出したことに気付くだろう。

by osho



blissfullife at 20:31|Permalink

2016年11月16日

母親になるということ03 by osho

UNI_1140



そして3つ目のこと・・・

道徳に耳を傾けてはならない、宗教に耳を傾けてはならない、文化に
耳を傾けてはならない・・・
「自然」に耳を傾けなさい。

自然であれば何であろうと・・・たとえそれが、時々あなたにとってとても
難しいとしても、あなたにとってはとても居心地が悪いとしてもだ・・・
なぜなら、あなたは自然に従って育てられては来なかったからだ。

あなたの両親は、あなたを真の芸術、愛では育てなかった。
それは偶発的なことに過ぎなかった。同じ間違いを繰り返してはいけない。
何度もあなたはとても不安に感じるだろう・・・。

たとえば、幼い子供が自分の性器で遊び始める。母親の普通の傾向は、
子供を止めることだ。なぜなら、彼女はこれはいけないことだと教えられて
きたからだ。たとえ彼女が何も悪いことではないと感じるとしても、そこに
誰かがいれば彼女は少しきまり悪く感じる。
きまり悪く感じなさい!それはあなたの問題だ。子供とは何の関係もない。
きまり悪く感じなさい。たとえそれで、あなたが社会において尊敬を失うことに
なるとしても。

決して子供の邪魔をしてはいけない。自然に自らの道を取らせなさい。
自然が開いて見せようとしていることを、何であれ容易にする為にあなたは
そこにいる。
あなたは自然を監督するべきではない。
あなたはただ助けとして、そこにいるべきだ。

だから、この3つのこと・・・そして、瞑想し始めなさい。
子供が生まれる前に、あなたは出来る限り深く瞑想の中に入って行くべきだ。

子供があなたの子宮の中にいる時、あなたが何をしていようとも、すべて
絶え間なく子供にヴァイブレーション(振動)として伝わる。

もしあなたが怒れば、あなたの胃は怒りで緊張している。子供はすぐにそれを
感じる。悲しい時は、あなたの胃は悲しみの雰囲気を持っている。
すぐに子供は活気なく落ち込んで行くのを感じる。子供は完全にあなた次第だ。
子供はまだ自立していない。あなたの風土が彼の風土だ。だから、もう争いは
なしだ、もう怒りはなしだ。

だからこそ、私は母になることは偉大な責任だと言っている。
あなたは多くを犠牲にしなければならないだろう・・・。
もしまさに最初から、怒り、憎しみ、衝突が子供のマインドの中に入れば、
その時には、あなたは彼の為に地獄を引き起こしている。彼は苦しむだろう。

そうであれば、子供を世界の中にもたらさない方がいい。
なぜ子供を苦しみの中に連れて来るのか?
世界は途方もなく苦しんでいる。
そもそもこの世界の中に子供を産み落とすことは、とても危険なことだ。
しかし、それでもあなたがそうしたかったら、せめてこの世界において、
まったく違う子供をもたらしなさい・・・

惨めではなく、少なくとももう少し世界が祝うのを助ける子供を。
彼は世界の中に、もう少し祝祭をもたらすだろう・・・
もう少し多くの笑いを、愛を、生を・・・

osho




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2016年11月15日

母親になるということ02 by osho

UNI_11533



そして2つ目のことは、成人した人を扱うように子供を扱いなさい。
決して子供を子供のように扱ってはならない。
子供を深い尊敬をもって扱いなさい。

神はあなたを主人(ホスト)として選んだ。神は客(ゲスト)としてあなたの存在の
中へ入って来た。
子供はとても壊れやすく、無力だ。子供を尊敬することはとても難しい。

子供に屈辱を与えるのはとても簡単だ。屈辱はごく簡単に生じる。
なぜなら、子供は無力で何も出来ないからだ。
仕返しすることも、反抗することも出来ないからだ。

子供を成人として、そして偉大な尊敬をもって扱いなさい。
ひとたびあなたが子供を尊敬するようになると、あなたは自分の考えを
彼に押しつけようとしなくなる。

あなたはただ彼に自由を与える・・・世界を探検する為の自由だ。
あなたは彼が世界を探検するにあたって、もっともっと力強くなるのを助ける。
だが、決して彼に方向を与えたりしない。

あなたは彼にエネルギーを与える、あなたは彼に保護を与える、あなたは
彼に安全を与える・・・彼が必要なすべてを・・・だが、あなたは彼が世界を
探検する為に、あなたの元から遠く離れて行くのを助ける。

そしてもちろん、自由には間違いもまた含まれている。
母親にとってそれを学ぶのはとても難しい。
あなたが子供に自由を与える時、それはよいことをするだけの自由では
ないからだ。
悪いことをする自由、間違う自由もまた必要だ。
だから子供を注意深く、賢くあらしめなさい。

だが、彼にどんな戒律も決して与えてはならない・・・
誰もそれらを守りはしない。が、人々は偽善者になる。

だから、もしあなたが本当に子供を愛するのなら、ひとつのことを覚えて
おかなければならない。
絶対に、絶対にいかなる方法であれ、偽善者になるように彼を助けたり、
強制したりしてはならない。




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2016年11月14日

母親になるということ01 by osho

UNI_113111



質問:母親になることについて話してください。


母親になることは、この世でもっとも偉大な責任のひとつだ。

実に多くの人々が精神分析医のカウチの上にいる状態だ。
そして、実に多くの人々が精神病院に入っている。
そして、実に多くの狂った人々が精神病院の外にいる。

もし、あなたが人類の神経症に深く入って行ったら、あなたはつねに
母親を発見するだろう。
なぜなら、とても多くの女性が母親になりたがるが、彼女達はいかにして
母親になるかを知らないからだ。

ひとたび母親と子供の関係がおかしくなってしまうと、子供の一生は
間違った方向に向かう。
なぜなら、それは世界との子供の最初の接触、彼の最初の関係だからだ。
他のすべては皆それとつながって行く。そしてもし、その最初の一歩が
間違って踏み出されると、生涯が台無しになる。

人は承知の上で母親になるべきだ。あなたは人類が受けることの出来る、
もっとも偉大な責任のひとつを引き受けている。
男性の方がその意味では少し自由だ。なぜなら、彼らは母親になることの
責任を引き受けることが出来ないからだ。

女性にはより多くの責任がある。だから母親になるがいい。だが女だからと
いって、母親になるのは当たり前だと捉(とら)えてはいけない・・・それは
誤った考えだ。

母性は偉大な芸術(アート)だ!
あなたはそれを学ばなければならない。
だからそれについて学び始めなさい!

2、3のことを私はあなたに言いたい。
最初に、決して子供をあなたのものとして扱ってはいけない。
決して子供を所有してはならない。
子供はあなたを通してやって来るが、あなたのものではない。
神があなたを乗物として、媒体としてただ使っただけであり、子供はあなたの
所有物ではない。
愛しなさい。だが決して子供を所有してはならない。

もし母親が子供を所有し始めたら、その時には彼の生は破壊される。
子供は囚人になり始める。あなたは彼の個性を壊し、彼を物に貶(おとし)めて
しまっている。

物しか所有出来ない。家を所有することは出来る、車を所有することは出来る・・・
人を所有することは決して出来ない。
だからこれが最初のレッスンだ・・・その為に用意を整えなさい。
子供がやって来る前に、あなたは彼を独立した存在として迎えることが出来ている
べきだ。
彼自身の権利において、ひとりの人物として、単にあなたの子供としてではなく。

osho


blissfullife at 11:23|Permalink