瞑想

2017年02月07日

ナーダブラーマ瞑想 by osho

UNI_1175



ナーダブラーマ瞑想は、ハミングを使ったチベットの古い
テクニックのひとつです。
oshoは現代人のために、このテクニックを1時間の瞑想法
として紹介しています。



ハミングは途方もなく役立ちうる。

しかも、それはいつでもできる。
少なくとも1日1度、2度できるならそれがいい。

それはあなたの全存在に平安をもたらすほど、偉大な内なる音楽だ。
そのときあなたの葛藤する部分は調和しはじめ、やがてあなたに
聞きとることのできる微妙な音楽が、体内に湧きあがってくる。

3~4カ月たったら、ただ静かに坐っているだけで微妙な音楽を、
内側のハーモニーを、一種のハミングを聞くことができる。

エンジンが好調にうなりをあげている車のように、あらゆることが完全に
順調に機能している。
腕ききのドライバーは、何かがうまくいっていないと分かるものだ。
乗客たちは気づいていないかもしれない。が、彼には車のうなりの変化が
たちどころに分かる。
そのとき、もはやうなりは調和のとれたものではない。
新しい騒音が生じている。
ほかの人は誰ひとり気づいていない。
が、運転を愛する人なら、すぐに何かがうまくいっていないことに、エンジンが
しかるべく機能していないことに気づく。

よいハミングをする人は、物事がうまくいっていない時、まもなくそれを
感じはじめる。
もし食べすぎたとしたら、あなたは内なる調和が失われていることに気づく。
そこで、やがては過食するか、内なる調和を保つかを選択しなければ
ならなくなる。

だが、内なる調和はあまりにも貴重な、あまりにも神性なとほうもない至福だ。
もっと食べることなど誰が気にする?
そして、まったく規定の食事をとる努力などなしに、あなたはよりバランスの
とれた食べ方をしている。
そうすると、ハミングはもっと深くはいり込み、どの食事がハミングの妨げに
なるかが分かるようになる。
消化の悪いものを食べると、それはあまりにも長く組織の中にとどまる。
そこで、ハミングがあまり完全なものではなくなる。

osho



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2015年11月20日

瞑想のための空間をつくる by osho

2014・木12




「瞑想のための空間をつくる」 by osho


毎日瞑想できる特別な場所を小さな寺院や
家の片すみに設けることができるなら、
その場所は他のどんな目的にも使ってはならない。

というのも、あらゆる目的がそれ自体の波動(ヴァイブレーション)
をもつからだ。

その場所は瞑想のためだけに使用し、
他のことに使ってはならない。

そうしたらその場所は充電されるようになり、
毎日あなたを待つ。

その場所はあなたの役に立つ。

その環境は特定のヴァイブレーションを帯び、
特定の雰囲気をかもしだす。

そのなかでなら、あなたはいっそう楽にもっともっと
奥深くへとはいってゆける。

それこそ寺院や教会やモスクが造られた理由だ。
祈りや瞑想のためだけにある場所を設けるということだ。

もしあなたが瞑想に規則的な時間を選べるとしたら
それもまたとても役に立つ。

というのも、あなたの体や心(マインド)は一つの機械だからだ。
もしあなたが毎日特定の時間に昼食をとるとしたら
その時刻になると、あなたの体は食べ物を求めて叫びだす。

(中略)

毎日同じ場所で、同じ時間に瞑想してごらん。
そうすると、体と心(マインド)の中に瞑想への渇望が生じる。

毎日その時間になると、体と心(マインド)は、あなたが
瞑想のなかにはいることを求める。
それは助けになる。

空腹や渇きになるスペースが、あなたの内につくりだされる。
はじめのうちそれはとてもいい。

瞑想が自然になり、あなたがどこでも、どんな場所でも、
どんな時でも瞑想できる地点に至らないかぎり――
その瞬間に至るまでは、体と心のこうした機械的資質を
一助にするがいい。

これはあなたにある雰囲気を与える。

あかりを消し、きまった香を部屋にたきしめ
きまった長さ、柔らかさの服をまとい
きまった種類の敷物をしいて、きまった型の姿勢をとる――
このすべてが助けになる。

が、こうしたことがそれを引き起こしはしない。
もし誰か別の人がやったとしたら
この同じことが障害になるかもしれない。

人は自分自身の儀式を見つけださなくてはならない。
儀式は、あなたがくつろいで待つのを助けるためにある
にすぎない。

そして、あなたがくつろいで待っているとき
そのことが起こる。

まるで眠りのごとく、<神>はあなたにやってくる。
まるで愛のごとく、<神>はあなたにやってくる。

あなたはそれを意図することはできない。
それを奪いとることはできない。



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2015年05月22日

生は溢れでる喜びのダンス by osho

2015公園・4月06



瞑想から始めなさい。
そうすれば、物事はあなたの中で成長し続けるだろう。

沈黙、平穏さ、至福、繊細さ。
そして瞑想からわき出たものは何であれ、それを生へともたらすように。
それを分かち合うように。

なぜなら、分かち合ったものはすべて、すぐに成長するからだ。

あなたが死という地点に到達してしまえば、死は存在しないことが
わかるだろう。
あなたはさよならが言える、悲しみからの涙はまったく必要ない。
ひょっとしたら、喜びからの涙はあるかもしれないが、悲しみから
ではない。

でも、無垢になることから始めなければならない。
だからまず、あなたがたずさえているがらくたをすべて投げ出すのだ。
誰もがたくさんのがらくたをたずさえている。

不思議に思うだろう、何のために? 
ただ単に、人びとがあなたに、これが偉大な思想だ、主義だ、と
ずっと教えこんできたからだ。

あなたはあなた自身で知性的になったことはない。
あなた自身で知性的になるのだ。

生はとても単純だ、それは溢れでる喜びのダンスだ。
地球全体が、喜びとダンスで満ちることができる。

しかし、誰も生を楽しむべきではない、誰も微笑むべきではない、
誰も笑うべきではない、生は罪である、それは懲らしめであるという
思想を、
自分たちの権利で真剣に広めている人びとがいる。

生が懲らしめだ、あなたは悪いことをしたから苦しんでいる、
生は一種の監獄で、そこに、苦しむために投げ込まれていると
絶えず言われ続けている状態で、あなたはどうやって楽しめるだろう?

私はあなたに伝えよう、生は監獄ではない、懲らしめではない。
今、楽しむのはあなたの権利だ。
楽しまなければ、罪となるだろう。


by osho

blissfullife at 10:29|Permalink