2016年09月08日

初めてのように見る by osho

2015・木01



初めてのように見る

私たちはいつも、お決まりの見方でものごとを見ている。
あなたが家に帰って来る――
あなたはほんとうには見ることなく、家を見る。あなたはそれを知っている、
だから見る必用などない。
あなたは何度も何度も、何年にも渡って家に入り続けて来た。
あなたがドアに近づき、ドアから入る――鍵をかけるかもしれない。
でも、もは や見る必要などない。

このプロセスのすべては、まるでロボットのように、機械的に無意識に
続いて行く。
もし何かがうまくいかなかったとき、たとえばあなたの鍵が鍵穴に
合わなかったら、そのとき初めてあなたは鍵穴を見る。
もし鍵が合えば、あなたは決して鍵穴を見ない。同じことを何度も
何度も繰り返している、その機械的な習慣ため、あなたは見ることの
能力を失う――あなたは見ることにおいての新鮮さを失ってしまう。

あなたが妻を最後に見たときのことを、思い出してごらん。
あなたがほんとうに妻や夫を見たのは、何年も前のことかもしれない。
いったい何年の間、あなたは見ていないだろう? 
何気なくちらっと見ながら通り過ぎるだけで、あなたはほんとうには
見ていない。

もう一度近づいて、まるで初めて見るかのように、妻や夫を見てごらん。
あなたの目は新鮮さで満たされ、目は生き生きとする。

子どもにとっては、すべてが新しい――
だからこそ、あらゆるものが彼らに興奮を与える。
浜辺にころがる石ころの色にさえ、彼らはとても興奮する。
そしてすべてが新しい世界であり、新しい次元だ。

子どもの目を見てごらん――
新鮮さと、輝く生き生きとした感じと、活力とともに。彼らは鏡のように、
静かに、しかし貫通してものを見る。
そのような目だけが、内側にとどくことができる。

何でもかまわない、自分の靴を見てごらん。あなたは何年もの間
それを使い続けて来たが、まるで初めて見るように、それを見てごらん。

そして違いを感じてみなさい――
あなたの意識の質は、突然変化する。このテクニックは、ただあなたの
目を新鮮にするためのものだ。とても新鮮に、生き生きと、輝くような
活力に満ち、目が内側に向かって行くことができるように。
そして、あなたが内なる自己を見ることができるように。

もしあなたが過去から自由になり、現在を知ることができるのを見たなら、
あなたは存在に入るだろう。

そして、この入ることは、二重だ――
あなたはすべての中へ、その精神の中へと入り、そしてあなた自身の
中へも入る。
なぜなら現在は扉だからだ。

すべての瞑想は、何とかしてあなたを現在に生きさせようとする試みだ。
だから、このテクニックはもっとも美しいテクニックのひとつであり、
そして容易だ。



blissfullife at 20:08│osho(和尚)